珍しい字体の御朱印、東本庄稲荷神社。
若泉稲荷神社の特徴
珍しい字体の御朱印が魅力的な神社です。
由緒ある東本庄稲荷神社が境内に位置しています。
御祭神として倉稲魂命を祀っている神社です。
若泉稲荷神社(わかいずみいなりじんじゃ)御祭神 倉稲魂命二柱境内諸社 天神様 八坂様 手長様 秋葉様 御岳様 護国神社飛び地境内地に奥宮東本庄稲荷神社あり由緒飛び地境内地の東本庄稲荷神社は治承四年(1180)の創建です。武蔵守継行六世孫荘太郎家長が東本庄に館を構えた際、鎮守として勧請されました。荘太郎家長は、一ノ谷の合戦(1184)で源氏に従い、平武蔵守知章を討ち取り、敗走した生田森の副将軍三位中将平重衡を、須磨ノ浦海岸で梶原景季(又はその父景時)と共に生捕った武将です。天正十八年(1590)に、本庄氏に代わって小笠原掃部太夫信嶺が本庄城主になった時に、旧領主が勧請した社であるとの理由からこの神社を最も崇敬し、現在の社地に社殿を建立して奉遷しました。小笠原掃部太夫信嶺が、姫の病気を祈祷で治した現宮司家の隠居所料として東本庄の分霊を勧請したのが始まりです。明治にいたり、村社としてその庄名を冠して当時の埼玉県令千家尊福卿より若泉稲荷神社と名付けられました。明治四十二年(1909)に東本庄稲荷神社を県の指導により合祀しましたが、その後村内に火事が頻発するなどの出来事が絶えず、宮司の夢枕に東本庄稲荷大神がお立ちになるに及んで祟りと判明、大正十五年(1926)に元の所に奥宮として還座して火事はおさまりました。昭和三十年代(1955)初頭、台風により大木が全部倒れ、周囲の民家には一切被害がなく、拝殿だけ潰したのも霊験といわれています。(「境内案内板」「埼玉の神社」及び「Wik」参照)本殿胴羽目には、ダイナミックな構図でありながら、登場人物や脇障子の稲荷狐さんまでとても表情豊かに彫り込まれた彫刻が施されています。すぐ隣の「若泉幼稚園」の園児たちに、園庭の柵越しに「なにしてるの~?」と声を掛けられ、手を振りながら「写真撮ってるの~♪」と応えましたが、子どもたちが将来、地域の神社や日本の神さまに興味をもって、自分たちの地域に暮らしてきた先人達や、日本の歴史に誇りを持ってくれたらいいなと思います。(個人的な感想です)
御朱印を頂きに参拝しました。拝殿に登る階段横に、案内がありましたが、地図付きでしたが、ちょっとわかりにくい。とりあえず、となりの若泉幼稚園に寄りましたら、対応して頂き、運良く、宮司さんがいるとのことで、宮司宅で直書き御朱印頂けました。独特の素敵な御朱印頂きました。兼務社が多くてビックリです。各¥500
名前 |
若泉稲荷神社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0495-21-5265 |
住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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HP | |
評価 |
3.6 |
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珍しい字体の素敵な御朱印を頂けます。祭祀などで不在な時があるそうなので、確実に御朱印を頂きたい方は、事前に電話で問い合わせた方が良いと思います。丁寧にご対応して頂けますよ。若泉稲荷さん(東本庄稲荷さん)は昔から力のあるお稲荷さんとして、知る人ぞ知るお稲荷さんです。先日身内が悩み事があって御守りを授かったのですが、(本人の努力も勿論ありますが)良い方向に向かいました。御守りを授かる時も宮司さんに御丁寧な相談にのって頂き、悩み事に合う御守りを用意して貰えました。【ご神徳は人によって変わります】とは、こういう意味だったんですね。大きくはありませんが、地元の人から大事にされてきたお稲荷さんです。