素晴らしい遺構、心を打つ旅。
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名前 |
根当要害跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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評価 |
4.0 |
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とても素晴らしい遺構が残っています。登り口は土塁上にある八幡神社への参道があり、楽に城址に至れます。単郭の遺構が残っており、曲輪内は薮になっていますが、それを取り囲む土塁が観察できます。何より素晴らしいのは単郭の曲輪の北側に「コ」の字で取り囲む堀切の規模です。堀切の外や東麓にも曲輪の存在が想定されるそうですが、明確な遺構は無いようです。もうちょっと郭内の薮を刈って貰えるととても素晴らしいものになると思われます。城は常陸大掾氏の家臣(一族とも)の鶴町因幡守(三河守とも)の居城で、天正18年(1590)に佐竹氏による府中侵攻に際して落城したとされています。