三澤為淨法印の再興を実感。
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名前 |
大安楽寺墓地 |
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ジャンル |
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住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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評価 |
3.0 |
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◯三澤為浄法印頌徳碑再興を松本なる安原山に巡教して三澤為淨師の再興を感じてたをれたる庵りに法の幢あげて みのりの雨を降らしけるかな 智全当山中興の祖 三澤為淨僧都は安政六年十二月十二日松本市清水町三澤清左エ門三男として誕生 慶応二年三月三日南佐久郡櫻井村延命寺に入寺 以来京都本山智積院に留学すること八ケ年 帰村して延命寺神宮寺の二ケ寺を兼務の傍ら櫻井日遷学校を開き友人小林興之助と共に明治十二年四月二十三日内務省より訓導を任命され村民の教育に尽されたるも 感ずるところあり明治三十四年十月二日故郷松本に転住 当山の住職となられ在職三十三年 その間明治維新の排寺の難を受け疲憊其の極にありし当山の復興に当られ 臥薪嘗胆幾多の苦難を経て今日の興隆を見たるは仏陀神明の加護と十方檀徒の護法愛寺の賜物なりと雖? 実に為浄僧都日夜精進のしからしむるところにして檀徒の感激措くあたはざるところなり。 僧都遷化されてより三十七年忌に当る本日 檀徒相謀り五輪塔並に頌徳碑を建立してこれを永遠に記念するものなり。昭和三十八年三月二十七日安原山大安楽寺第二十八世少僧正三澤文浄檀徒一同◯多湖女史之碑多湖甲子生女史は松本藩儒多湖安貞の長女なり 明治十六年松本開智学校裁縫科を卒業し同校裁縫科教員となる 爾来松本大町両小学校 松本高等女学校 松本女子職業学校等に奉職し後更に山口県 兵庫県の女学校に転任し大正十二年退職し昭和三年二月病みて松本に没す 享年六十五歳 女史人となり謹直温厚技芸卓越 居常華を去り実を重んじ研鑚教導維き日も足らず 教育に従事すること四十年 心血を青英に捧げ尽して他事を顧みるの遑あらず 薫陶を受けし者数千人に及ぶ 其功績誠に大なりと謂ふべし 茲に当時の同僚や薫化を蒙りたる人と其徳風を追慕し相図りて碑を建て女史の功績を後世に貽さんとし来りて文を余に需む 因りて大要を叙して之れに与ふと云爾昭和四年九月 七十五翁 雪洲市隠。