明治天皇行在所跡で歴史巡幸。
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名前 |
明治天皇幸手行在所跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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評価 |
4.0 |
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【明治天皇行在所説明板】説明板の文面は次のとおりです(台・屋根部分は復原)【説明】明治十四年山形秋田両縣及北海道巡幸の際七月三十一日/同御還幸の柳十月十日行在所となり明治二十九年十月近衛師團小機動演習天覽の為埼玉縣下行幸の際同月二十日より二十二日行在所となりたる處にしてよく舊規模を存せり【明治天皇幸手行在所跡】幸手市中一一五天皇が外出することを「行幸」、行先が2か所以上になることを「巡幸」といいます。また、天皇が臨時に沸在する場所は、「行在所」と呼ばれます。明治天望は、明治九年(一八七六)六月の奥羽巡幸、明治十四年(一八八一)七月・同十月の山形・秋田・北海道巡幸、そして明治二十九年(一八九六)十月の近衛師団小機動演習天覧の際に幸手を行在所とし、明治九年には元本陣の知久家に、あとはこの地にあった右馬之助町の元名主の中村家に宿泊しています。こうした由緒から、昭和十年(一九三五)十一月、史蹟名勝天然紀念物保存法に基づき、中村家の行在所が「明治天皇幸手行在所」として史蹟に指定されましたが、昭和二十三年(一九四八)六月、指定解除になっています。この公園に、東郷平八郎が「明治大帝行在所御跡」と揮毫し、昭和八年(17)四月に建てられた記念碑をはじめ、現在は効ていますが史蹟指定の標識と、指定理由を記説明板(台・屋根部分は復原したもの)の三点され、保存されることになりました。