大きな石碑を見逃すな!
五郎兵衛用水水難事故の石碑の特徴
近くを通れば気づく、存在感抜群の大きな石碑です。
五郎兵衛用水の歴史を感じる、荘厳な風格を有しています。
観光地として訪れる価値ある、風景に溶け込む名所です。
かなり大きな石碑です。一見の価値はありますよ。
石碑が大きいので近くを通った方は見たことがあるかもしれません。我が家の墓地のすぐ下にあるので、お墓参りをした時にはお線香を供えたりしています。お盆にかけて特にかなり念入りに掃除をするので石碑の文字を見る機会があったものの、どんな内容の石碑なのかはわかりませんでした。石碑の内容は五郎兵衛用水のトンネルで発生した事故のことを説明しているようです。事故は「五郎兵衛用水水難事故」として紹介されていました。五郎兵衛用水は春日地区の川から浅科村にかけて江戸時代に人力で造られた用水です。この用水は山の中を通っているので場所によってはトンネルがあります。このトンネルを見学するため1937年にトンネルに入った20台の若者が事故に遭遇してしまいました。事故の原因は通常ならば連絡を受けて水を止めてから中に入るという決まりになっていたところ、水を止めずに若者達をトンネルの中へ入れてしまったという人的なミスでした。これによりトンネル内では水位が高くなり、若者達はトンネル内で身動きがまったくできなくなってしまったのです。トンネル内には26名が入っていましたが、事故により8名が亡くなりました。その後、亡くなられた方が安置されていたのが我が家の本家にあたるそうです。石碑は事故のあったトンネルの上に設置されていて、そのトンネルには入ることが出来なくなっています。
名前 |
五郎兵衛用水水難事故の石碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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評価 |
4.0 |
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昭和12年11月27日、御牧原修練農場の訓練生が、五郎兵衛用水の片倉隧道の実地体験のために坑内に列をつくり入ったが、流水と窒息により遭難し、救助の効なく8名の若い方が亡くなる。追悼の遭難碑が建てられている。