飛騨の歴史響く駒鼻峠。
駒鼻峠の特徴
岐阜県高山市上宝町に位置する峠で、深い歴史があります。
駒鼻峠は数々の伝説が眠る、趣深いスポットです。
道は結構険しいですが、通ることができます。
結構険しいけど通れます。2024年7月。県道471号古川鼠餅線は7/31まで工事中で通行止めとのこと。迂回路使えました。梅雨時期は道路が水浸し。枯れ枝と石ころが少し落ちてる。ゆっくり行けば通れる。
2024年6月中旬。境界標識のみ、登山口標識、意外と走りやすい。南側集落から東側県道473は激狭なんで注意してください。
名前 |
駒鼻峠 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
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岐阜県高山市上宝町在家にある駒鼻峠(こまはなとうげ)は、飛騨の深い歴史と数々の伝説が眠る、静かながら趣深い峠だ。この駒鼻峠は、標高約1,160mの山々を越えて上宝町在家地区と丹生川町折敷地地区を結ぶ、古くからの小さな峠道。現在は舗装された道だが、地図にも載らないような細道で、訪れる人もまばらだ。しかし、ここには飛騨の歴史が凝縮されている。駒鼻峠という名前には、地形的特徴と伝説が交錯している。峠近くの岩や尾根が馬の鼻に似ていることから、「駒ヶ鼻」が転じて「駒鼻」になったとも言われる。また、奈良時代に飛騨から都に献上された伝説の名馬「大黒(だいこく)」が、この峠付近で生まれたという古い言い伝えもある。この伝説は『万葉集』にも記録され、飛騨の地名の由来にもなったと伝えられている。峠の上宝町側には「名馬大黒之碑」と万葉集の歌碑が建てられ、ひっそりとこの伝説を今に伝えている。交通史的に見ても、駒鼻峠は重要な役割を担ってきた。飛騨の小さな地域を結ぶ峠道として、中世から江戸時代まで地元民の生活や交易に使われてきた。特に戦国時代には、この峠を境として東側を江馬氏、西側を三木氏が支配し、領主たちが競って寺社に寄進を行った。天文15年(1546年)には三木直頼が近くの千光寺に鐘を奉納し、永禄3年(1560年)には江馬輝盛が住吉神社に鰐口を寄進するなど、歴史上の出来事もこの峠周辺で起きている。江戸時代には、飛騨の山々を歩いた僧・円空上人もここを越えたとされる。円空は元禄年間、この峠を通って上宝町へ入り、多くの仏像を彫った。現在でも、上宝ふるさと歴史館などに円空仏が残り、この峠を歩けば、円空が足を運んだ時代の情景が蘇るようだ。峠の麓、在家地区には桂本神社(かつらもとじんじゃ)がある。この神社は飛騨北部を支配した江馬氏と縁深く、鎌倉時代に皇族の葛原親王を合祀したことで社名が変わったという由緒がある。江戸時代に再建された本殿が現存し、今も地元住民の信仰を集めている。また、この周辺の山々には、石仏岩をはじめとする奇岩が数多くあり、それらが自然と信仰を融合した独特の文化景観を作り出している。峠そのものはひっそりとした場所だが、そこには人々が積み重ねてきた生活や信仰、そして飛騨と都を結んだ伝説などが深く息づいている。特に峠の碑に記された名馬「大黒」の物語は、遥か1300年前の飛騨人たちの誇りと郷愁を伝え、訪れる人の心に静かに響く。飛騨を深く知りたい人には特におすすめしたい場所だ。駒鼻峠は静かながらも、飛騨の歴史と伝承が幾重にも重なった、実に味わい深い峠道である。