歴史の息吹感じる城郭。
志賀城跡の特徴
要害堅固な城郭が印象的で、迫力のある歴史を感じられます。
石垣や回り郭がしっかり残り、壮大な景観を楽しめる場所です。
内山城との類似点があり、歴史ファン必見のスポットです。
霊園の駐車場から徒歩で訪問しました。予想より楽しめました。
東西に伸びる尾根に、岩の断崖など、南方に位置する内山城と似ています。登っていてまず目につくのは、南側の岩の断崖です。主郭部までに石垣を備えた曲輪がいくつかあります。主郭部は南北が急斜面で、東側にはピンクテープが張られ通行禁止のようでした。西側は緩斜面で、何本か石垣で築かれた堀切がありました。
石垣など良く残っている❗️回り郭や横堀も有りかなり大きな城郭かと?
志賀城跡というコメントがありますが、志賀城はこのお寺の裏山の上にあります。このお寺はおそらく居館跡。志賀城はこのお寺の脇から登山道があり尾根の上まで行くことが出来ます。ただし、平坦地にはなってますが、遺構らしきものはそれ以外はないです。整備もされてませんので藪ですので 山慣れしている人以外は行かないほうが良いです。
名前 |
志賀城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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評価 |
3.6 |
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要害堅固の城で有ると推測するが相木、佐久穂、小諸、長和の居城は武田方芦田勢・相木勢により抑えられる中、笠原清繁公は挙兵したが頼みの綱は上州上杉憲政公と坂城の村上義清で有ったが上州上杉軍は武田の甘利備前守率いる別動隊により、三千以上の兵を討ち取られ敗残し、村上軍は越後中越の高梨政頼勢と対峙し援軍の余裕兵力無く、敢えなく落城…時宜を完全に見誤った笠原清繁公の挙兵として多くの佐久領民を死に至らしめ、甲州武田方へ謀反を繰り返す佐久領民に対して怒りに満ちた武田大膳大夫晴信は戒めの為、人買市を甲斐府中に立て売り払った。武田は上杉憲政や信濃守護小笠原義時の悪政干渉並びに諏訪や木曽の独裁自治を解放し、結果的に信濃に平穏をもたらし自ら信濃守護職として領民を救っている。滋野一族再興の為、海野家と姻戚関係を結び、望月家、根津家、真田家、常田家は甲州武田家の軍門一党と成った。