農民たちが崇めた宗七の神社。
| 名前 |
宗七神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP |
https://www.city.yuki.lg.jp/kankou/yuki100/kinugawa/page000481.html |
| 評価 |
3.0 |
| 住所 |
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江戸時代に農民たちから崇められた宗七を祀った神社。小さな祠ですが、宗七の話は結城市の絵本にもなっています。江戸時代寛政期頃の鹿窪(かなくぼ)村は、旗本薮氏の知行地でした。寛政9年(1797)、当時の領主の薮 主計(かずえ)が鹿窪村に大幅な年貢アップを命じ、村民は宮田宗七らを中心に名主に嘆願しましたが受け入れられなかったため、年末の年貢納入を拒否、薮家江戸屋敷へも何度も嘆願に行ったのだそうです。しかし嘆願はすべて却下され、宗七たちは、領主の用人・下津小左衛門が滞在する名主・赤荻善兵衛宅に梯子や鍬・鎌を持って押し寄せ、命懸けで年貢加増の撤回を迫ります。下津らは江戸に逃げ帰り幕府に報告、宗七ら5人の主導者は捕らえられ江戸で獄に入れられ、宗七は獄中で死亡しました。その後、年貢の加増は中止となりましたが、この時代、百姓一揆の首謀者は磔刑や投獄などの重刑が定めであり、その首謀者を顕彰する事は許されませんでした。明治になり、鹿窪村の人々は宗七の神社を建立して、彼の功績を称えたのだそうです。戦時中は願いが叶う神社として、参詣者も多かったのだとか。祭礼は10月10日。結城百選。