がやま橋の美しさを体感!
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たくさんのストーンブリッジがあって、どこもいいですが、この石橋が一番好き!手すりがないから、いい写真が撮れます!
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名前 |
滝ケ原アーチ石橋群 がやま橋 |
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ジャンル |
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住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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評価 |
4.5 |
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滝ケ原アーチ石橋群の一つ、がやま橋(我山橋)は、明治36年(1903年)に造られた小さな石造りのアーチ橋だ。小松市滝ケ原町という石川県の山あいにあり、緑の中にひっそりと佇んでいる。この橋は、平成21年(2009年)11月3日に「滝ケ原アーチ石橋群」として小松市指定文化財になったほか、現在は日本遺産「こまつの石文化」の構成資産にも選ばれている。決して目立つ橋ではないが、歴史的な重みをじっくりと味わえる場所になっている。この橋がある滝ケ原地区は、良質な「滝ケ原石」の産地として昔から知られている。この滝ケ原石というのは緑がかった美しい凝灰岩で、耐水性に優れ丈夫なことから、金沢城や小松城の石垣にも使用されるなど、江戸時代以降、各地の名建築や史跡に欠かせない素材となった。そんな石の産地だからこそ、ここには多くの石橋が造られたというわけだ。がやま橋を含む滝ケ原アーチ石橋群は、明治後期から昭和初期までの間に地元の職人が丹念に架けていったものだが、最盛期には11基の石橋が地区内に存在していたという。現在、滝ケ原地区内では東口橋・大門橋・西山橋・丸竹橋と、このがやま橋を含めて5基が現存している。隣接する菩提地区にも菩提橋という橋が残っているが、これは公式には石橋群には含まれていない。がやま橋は5基の石橋の中でも最も規模が小さく簡素な橋で、明治時代の石工技術を色濃く残しているとされる。特に特徴的なのは、コンクリートの床版が使われておらず、現在も架設当時のまま石積みだけでできていると地元では言われていることだ。このように石を組み合わせるだけで橋を支える技術は、石橋の中央に据えられた「要石(かなめいし)」が全体を支える構造になっていて、巧みに積み上げられた石が互いに支え合うことで、100年以上も橋を維持してきた。現在では自動車の通行は禁止されているため、ゆっくりと歩きながら、その精密で美しい石積みの仕事を眺めることができるのも魅力の一つだ。地元の伝承によれば、滝ケ原地区の石橋群を造る際には、職人が京都まで赴き、先進的な石橋建設の技術を学んで帰ったという話も伝わっている。その成果が、これらのアーチ石橋群に反映されたと言われるが、これはあくまでも伝承であり、確実な一次資料があるわけではない。ただ、職人たちが当時の最先端の技術を取り入れようと苦心したであろうことは、この橋を見れば十分に感じられる。また、がやま橋を含む滝ケ原の石橋は、元々は単なる観光資源ではなく、生活道路として使われていた。採石した滝ケ原石を運び出したり、地域の農業や林業を支える重要な道として活躍していた歴史がある。橋の周辺には、西山石切り場をはじめ、いくつもの採石場跡が残っていて、当時の石材産業の繁栄を今に伝えている。石切り場跡では、実際に石を切り出した跡や職人たちが使ったノミの跡などがくっきりと残り、まるでタイムスリップしたような景色を楽しめる。滝ケ原地区の石は、北陸だけでなく全国に出荷され、小松を代表する産業として地域経済を支えていた。同じ滝ケ原アーチ石橋群にある丸竹橋という橋には興味深い逸話がある。昭和10年(1935年)に造られたこの橋は、北海道で成功した滝ケ原出身の坂本竹次郎(通称・丸竹さん)という人物が、故郷への恩返しとして寄付したものだという。このように石橋ひとつひとつに、地域の人々の暮らしや思いが刻まれていることが、この場所の価値をさらに深めているように感じる。がやま橋そのものには派手な伝説や特別なエピソードは残されていないが、素朴な橋の佇まいは、それ自体が貴重な歴史の証人であり、地域の産業と人々の暮らしを支え続けてきたことを物語っている。観光名所として多くの人が訪れるというよりは、むしろ静かな環境でその歴史と美しさを感じ取ることができる場所だろう。今後も地域の人々の手で守られ、明治から続く小松の石文化を語り継ぐ大切な史跡として、静かに時を刻み続けていくに違いない。