水量豊かな赤瀬観音滝へ!
赤瀬観音滝の特徴
泰澄が開いた霊場、信仰と修行の場として知られています。
滝面に近づける貴重な体験ができるスポットです。
水量が多い時の迫力ある滝は見応えがあります。
水量が少ない時に行ったので迫力不足だったが、滝面のすぐ近くに行けることができ水量が多いと危ないだろうと感じた。
| 名前 |
赤瀬観音滝 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[日月火水木金土] 24時間営業 |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
周辺のオススメ
小松市にある赤瀬観音滝は、泰澄によって開かれたと伝えられる霊場・赤瀬那殿観音の傍らに位置し、古くから信仰と修行の場とされてきた。赤瀬観音滝(あかせかんのんたき)は、石川県小松市赤瀬町の山間部に位置し、白山山麓の豊かな自然に抱かれた滝である。滝の名は、近接する赤瀬那殿観音堂に由来するもので、地元では「那殿大滝」あるいは「大滝」とも呼ばれている。滝の規模は落差約22メートル、幅約2メートルとされ、分岐瀑の形態をとる。岩壁から枝分かれして流れ落ちる水は、やがて梯川水系の支流へと注ぎ込む。この滝の歴史は、奈良時代初期にさかのぼるとされる。養老元年(717年)、白山信仰の開祖として知られる泰澄がこの地を訪れ、岩窟に千手観音像を安置したという伝承が残る。その地に創建されたのが、滝のすぐ傍らに建つ赤瀬那殿観音である。那谷寺の奥の院とも伝えられるこの観音堂は、白山信仰と深く関わる霊場として信仰を集めてきた。那殿観音堂は、切り立った岩盤の上に建てられた懸造りの堂宇であり、その佇まいは京都・清水寺を思わせる構造を持つ。堂内には本尊の観音菩薩像が安置されているほか、西国三十三所の観音像を模した三十三体の像も奉安されており、かつては近隣住民の写し霊場としても機能していた。舞台状に張り出した建築は、崖地に立つことによる視覚的な迫力を備え、かつての修験場としての性格を今に伝えている。この一帯には、那谷寺と赤瀬を結ぶ古道があったとされ、山伏たちはこの山道を行き来し、滝や岩屋での修行を重ねたという。滝そのものも霊域の一部であり、霊水を生む場所として重要視されてきた。観音堂の近くには湧き水が流れ出る場所があり、「宝水」と呼ばれて病を癒す水として信仰された。水口には龍頭があしらわれ、そこから湧き出る清水を汲みに来る参拝者の姿も見られる。また、観音堂の奥には「くもっろ巌(いわ)」と呼ばれる巨岩があり、岩の隙間をくぐることで心身を清める試練の場とされてきた。この岩をくぐる際、親不孝者は耳が岩にくっついて離れなくなるという伝承も残る。こうした岩や水にまつわる信仰は、白山信仰や修験道の影響を色濃く受けている。滝の水量は年間を通じて大きく変動し、平常時には細い流れが岩肌を伝う程度だが、雨天時や雪解けの季節には勢いある水流となって滝らしい姿を現す。滝壺は小さく、岩の間を伝った水がそのまま谷へと注がれていく。滝を正面から見る位置には林道が通じており、滝の姿を間近に見ることができるが、整備された観瀑台などは設けられていない。この赤瀬観音滝と那殿観音堂のある一帯は、2016年に日本遺産「珠玉と歩む物語~小松石の文化~」の構成資産の一つとして認定された。滝や堂宇を構成する岩盤には、凝灰岩層の白い断崖が露出しており、石の文化と信仰が交差する象徴的な空間となっている。自然そのものが信仰対象とされてきた石山信仰の現場でもあり、白山を仰ぐ拝所としての機能も担っていたとされる。観音堂の境内には、龍の彫像を模した水口のほか、神馬像、三重塔、石仏などが点在しており、山中に築かれた小規模ながら密度の高い信仰空間を形成している。これらの石造物や堂宇はいずれも個別の文化財指定は受けていないが、信仰の継続や日本遺産構成資産としての価値を通じて、今も地域の歴史を伝える場としての役割を果たしている。さらに、滝の下流には奇岩と清流が織りなす荒俣峡が広がり、昭和24年には「加能八景」のひとつとして選定された。荒俣峡の自然景観と赤瀬観音滝は地形的にも連続しており、広義には同じ渓谷景観の一部として見ることができる。こうした背景から、赤瀬観音滝は単なる自然景勝ではなく、歴史・信仰・地質が重なり合った文化的景観の一角を成している。現在でも滝と観音堂を訪れる人は少なくないが、信仰の場としての静けさを保っている。赤瀬観音滝は、白山信仰の周辺で育まれた山岳霊場のひとつとして、また泰澄の足跡を今に伝える場として、地域の記憶と深く結びついた存在である。