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芭蕉句碑が残る小松市の荒俣峡には、血の涙を流すとされた時鳥(ほととぎす)と、恋に命を落とした盲目の娘の伝承が語り継がれている。舞台となるのは「保名が淵(やすながふち)」と呼ばれる渓谷で、ここではかつて、越中の薬売りと恋仲になった目の不自由な女性「やすな」が、男の裏切りを追って崖から転落し、そのまま深い谷底に姿を消したという。彼女の亡骸を包んだ淵では、以来、哀しげな河鹿(かじか)の鳴き声が毎夜響くようになったと伝えられている。荒俣峡にはこの伝説にちなんだ「加能八景(かのうはっけい)」の記念碑が建てられており、その側面には「やすな女の恋のやみ路や保名淵 あわれ夜毎に河鹿鳴くなり」という和歌が刻まれている。碑文には明記されていないが、この加能八景は昭和24年(1949)に県紙『北國新聞』の読者投票によって選定されたもので、荒俣峡はその一つ「赤瀬荒俣峡」として登録されている。こうした物語の余韻を映すように、荒俣峡の一角には芭蕉句碑が設けられている。句は「岩つゝし染る涙や時鳥」で、現地の碑面に刻まれた形は漢字仮名交じりで「時鳥」となっている。なお、この句は芭蕉自身の若い頃の作であり、伊賀上野で詠まれたとされる。底本としては、芭蕉門下の北村湖春が撰した『続山井(ぞくやまのい)』(寛文7年・1667年刊)に収録されたもので、作句年は寛文6〜10年頃と推定されている。内容は「岩に咲くつつじの赤が、血の涙を流すといわれる時鳥の涙で染まったかのようだ」とする幻想的な一幅の風景である。これは、先に挙げた保名伝説の「哀しみが渓谷を染める」という主題と響き合っており、芭蕉の句が物語世界に重ねて配されている点が特徴的である。この句碑が設けられているのは、荒俣峡の遊歩道沿い、料理旅館「長寿庵」の前に設けられた石垣の一部である。自然石を積み上げた石垣の表面を整え、そこに刻字を施した摩崖的な形式であり、独立した石碑ではない。建立年については公式資料が見当たらないが、荒俣峡が観光地として整備された昭和20年代後半、すなわち加能八景に選ばれた直後の時期と考えられる。芭蕉の俳句と土地の伝承を重ね合わせたこの句碑は、観光資源というよりも、地域の詩的記憶を視覚化する文化的モニュメントとして意義深い。刻字には建立者名や揮毫者は見られず、質素な作りであるが、石肌に残された文字は比較的よく読める状態にある。また、荒俣峡の句碑のすぐ近くには、服部土芳(はっとりどほう)の句「荒俣の紅葉の月の光そむ」を刻んだ別の句碑もある。土芳は芭蕉の高弟として知られる人物で、彼の句が芭蕉のそれと並んで設置されている点からも、俳諧文化の継承を意識した構成がうかがえる。荒俣峡の芭蕉句碑は、松尾芭蕉が実際にこの地を訪れて詠んだ句を刻んだものではないが、小松市全体としては芭蕉との関係が非常に深い。芭蕉は1689年の『おくのほそ道』の旅において、小松の地を二度にわたり訪れたことが記録されており、これは公的資料でも確認されている数少ない再訪例である。市内には芭蕉が訪れた神社仏閣や史跡が多く存在し、それぞれに句碑が設けられている。たとえば、小松市中心部の那谷寺(なたでら)は、芭蕉が実際に訪れ、「石山の石より白し秋の風」の一句を詠んだ場所として知られる。この句は『おくのほそ道』にも記載されており、境内には寛政2年(1790)建立の句碑が現存している。奇岩と秋風の対比による清澄な句で、那谷寺特有の景観を表現したものとして評価が高い。さらに、建聖寺(けんしょうじ)には芭蕉の木像が安置されており、これは蕉門十哲の一人・立花北枝(たちばなほくし)の寄進によるものとされ、小松市指定有形文化財となっている。また、境内には「しほらしき名や小松吹く萩すすき」の句碑も設けられている。そのほか、莵橋神社(うばしじんじゃ)では芭蕉が参拝時に詠んだとされる「しほらしき名や小松吹く萩すすき」の句が碑に刻まれており、本折日吉神社(ほんおりひよしじんじゃ)では芭蕉が神官であり門人でもあった藤村伊豆(俳号:鼓蟾)を訪ねた記録が残る。また、多太神社(ただじんじゃ)では、源平合戦で戦死した斎藤実盛の伝承に触れて詠んだ「むざんやな甲の下のきりぎりす」の句碑も現存する。小松市はこのように、市内の複数地点に芭蕉の句碑や関連遺物が点在する「俳跡の町」として、俳句文学史の中でも特異な位置を占めている。荒俣峡の芭蕉句碑は、そうした小松の俳諧的文脈の一角をなすものであり、景観・伝承・文学の三層が重なり合った地点に存在している。俳句に詠まれた自然の情景と、それを実際に目の当たりにできる地形との一致が、この句碑の価値を高めている。現地を訪れる際には、刻まれた文字に手を触れ、流れる渓流の音に耳を傾けながら、芭蕉が描いた情景に想いを重ねてみるのも良いだろう。荒俣峡という土地が持つ物語と、俳聖が遺した句の余韻が、静かに響き合う体験となるはずだ。