庚申塔への道、やがて丘陵へ。
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| 名前 |
下秋間後平の百庚申 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
5.0 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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細い道がありますけど、わかりやすい道を選択するなら、二股になっている道を南東に入り、道なり直進すると、左奥に丘陵が眼に入り、そこに庚申塔があります。案内板に詳しいので記します。庚申の日に身を慎み眠らずに、一夜を過ごすことを守または庚申待というが、江戸時代には、各地に庚申講が組織され供養のために庚申塔が造立された。庚申塔は文字のみを刻む文字塔と神仏等の像を刻む刻像塔に大別される。庚申塔に刻まれた仏像は青面金剛像が多い。下秋間字後平、道の入、立石、八重巻、雉子ケ尾の人々が庚申講を作り、寛政十年(1798年)に下秋間字後平にある丘陵の西麓に、平面が長方形の平地を設け、長方形の一番奥の短辺に親庚申とその脇に青面金剛像が刻まれた刻像庚申塔を五基ずつ計十基並べ、長方形の南北の長辺に文字庚申塔を四十五基づつ計九十基を建立した。この庚申塔はすべて、石材は溶結凝灰岩(秋間石)を使っている。また親庚申の塔身には建立の由来が刻まれているが、それによれば願主は、高橋林右衛門、高橋太郎衛門、田嶌源右衛門、田嶋伊三郎、湯浅甚右右衛門で、撰文は桂昌寺住職◯◯。当時の方の信仰心は立派だと感心するものです。表の道からひとつふたつ入ったところにあり、苦労しました。