西方城址の帰りに寄りたい。
升塚の特徴
大永3年に起きた河原田合戦の史跡を訪れてみてください。
隠れた場所にある小高い塚が印象的です。
西方城址見学と併せて立ち寄るのがおすすめです。
西方城址見学の帰りに寄ってみました。宇都宮氏と皆川氏の合戦の死者を弔った場所とのことですが、20m強四方あるらしく結構大きいです。上れるようになっていますが、この下には亡くなった方々が眠られているのでしょうか?
目立たないところに小高い塚があります。たくさんの戦死者が埋葬されたそうです。今となっては、静かな環境です。
| 名前 |
升塚 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
0282-21-2495 |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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大永3年(1523年)、皆川城主の皆川宗成と宇都宮城主 宇都宮忠綱との間で戦闘がおこりました(河原田合戦)。宗成は討死をしますが、皆川軍は小山氏・結城氏の援軍を得て宇都宮勢を撃退しました。両軍合わせて約300名の戦死者を出し、その遺体が葬られたのがここと言われています。幹線道路から逸れ、小道を100メートル程入った所にこれはあります。小さな持仏堂が目印で、塚はその後ろにある土盛りの上です。古くは「古墳」と考えられていて、昭和初期の『紀元 二千六百年記念古墳調査』には「家中村 第一号古墳」として記録されています。その後の研究で現在の認識に至ったようです。最近栃木県内の病院に何回か通うことがあったので、周辺を散策してみました。栃木(下野の国)というと「干瓢」と「釣り天井」くらいの認識しかなかったのですが、周囲には6世紀から7世紀の古墳が多く存在します。壬生、皆川などの城址や戊辰戦争の古戦場などもあります。同じく「下」の付く、我が下総の国より歴史的なスポットは遥かに多いようです。20か所ほど探訪して写真に収めてきました。順次upさせていただきます。ちなみにこの「河原田合戦」が行われたのが現在の東武日光線「合戦場」駅近辺なのだそうです。