薬師寺境内で竹久夢二の歌碑に出会う。
竹久夢二歌碑の特徴
金沢市湯涌町の薬師寺境内にひっそりと佇む歌碑です。
湯涌温泉総湯白鷺の湯手前から階段を上がった場所にあります。
竹久夢二の歌碑は美しい風景の中に位置しています。
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湯涌温泉総湯白鷺の湯手前から階段を上がった薬師堂境内にある。
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| 名前 |
竹久夢二歌碑 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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金沢市湯涌町の薬師寺境内にひっそりと佇むのが、竹久夢二(たけひさ ゆめじ)の歌碑だ。この歌碑には、大正時代に詩人画家として名を馳せた夢二が残した一首の短歌が刻まれている。湯涌温泉は、静かな山里の中にある小さな温泉郷だが、この場所は夢二と深い縁があることで知られている。大正6年(1917年)の秋、夢二は最愛の恋人、笠井彦乃(かさい ひこの)と次男の不二彦(ふじひこ)を伴ってここを訪れ、約3週間ほど滞在した。二人は温泉地で静かな時を過ごし、この期間に夢二が詠んだ短歌が、歌碑に刻まれた一首だ。「湯涌なる山ふところの小春日に 眼閉じ死なむと きみのいふなり」これは病弱だった彦乃に夢二が向けて詠んだ歌で、その歌には二人の幸せな時間と、やがて訪れる別離への切ない覚悟が滲み出ている。この歌が収録された詩集『山へよする』は、大正8年(1919年)に発表されているが、湯涌温泉での二人の幸福な記憶を後世に伝える重要な作品となった。歌碑が建立された薬師寺は、平安時代に泰澄大師(たいちょうだいし)が開いたと伝わる古刹であり、湯涌温泉の発祥地でもある。大師がこの地で霊泉を見つけ、薬師如来像をその水で作ったという伝承も残っている。また、この寺は江戸時代には加賀藩の藩主や武士たちが湯治に訪れた場所としても知られており、その境内に立つ歌碑は、歴史ある風情とともに訪れる者を静かに迎えてくれる。この歌碑が建立された背景には、市民や夢二を愛する人々による長年の顕彰活動がある。歌碑が立てられた具体的な年月は明確ではないが、2000年に開館した「金沢湯涌夢二館」の設立へとつながるきっかけともなったと言われている。金沢湯涌夢二館は、夢二が湯涌温泉で過ごした日々や彦乃との愛情を後世に伝える施設で、館内には夢二が描いた美人画や詩稿、彼の遺品が多く展示されている。歌碑を訪れた際には、ぜひこちらの美術館もあわせて訪れてほしい。美術館入口には夢二のブロンズ像も設置されており、ゆかりの地で夢二の世界に触れられる。また、湯涌温泉には、江戸時代の建物が移築・復元された「金沢湯涌江戸村」もあり、当時の生活を垣間見ることができるスポットとして人気が高い。温泉情緒を楽しみつつ、夢二ゆかりの場所を巡る散策もおすすめだ。歌碑を眺めると、自然石の素朴さと、夢二が彦乃に抱いた深い愛情がひしひしと伝わってくる。静かな山間に包まれて佇むこの碑の前で一首を味わえば、夢二の切なくも美しい世界をより深く感じられるだろう。