歴史と信仰が息づく樋瀬戸の念仏道場。
| 名前 |
樋瀬戸の念仏道場 |
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| ジャンル |
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| HP |
http://nanto.zening.info/fukumitu/Hinoseto_no_Nenbutsudojo/index.htm |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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富山県南砺市樋瀬戸(ひのせと)の集落に静かにたたずむ「樋瀬戸の念仏道場(ひのせとのねんぶつどうじょう)」は、小さいながらも地域の暮らしや信仰と深く結びついた歴史的な場所だ。派手な寺院とは違い、村人が代々守り続けてきた素朴な木造の仏堂で、地元の人たちは親しみを込めて「道場さん」と呼ぶ。実はここが南砺市内で唯一現存する念仏道場で、市指定有形文化財として保護されている貴重な建物でもある。この道場の起源は古く、室町時代後期の文明年間(1469〜1487年)にさかのぼる。蓮如上人が北陸を巡って浄土真宗を布教した際、この樋瀬戸にも道場が開かれたとされている。当時、加賀や越中では浄土真宗(一向宗)が広まり、多くの念仏道場が各地に建てられた。特にこの樋瀬戸道場は、砂子坂道場(現在の金沢市)が管理していた配下道場のひとつとして古文書にも記されているほど歴史が深い。江戸時代には地域の念仏道場の多くが正式な寺院となっていったが、なぜか樋瀬戸の道場だけは寺院化されず、集落の念仏講(ねんぶつこう)の拠点として今日まで続いてきた。現在の建物は明治12年(1879年)の再建で、元々は茅葺き屋根だったが、後に瓦葺きに改められた。建物内部は仏間を中心に往時の雰囲気を残していて、今でも阿弥陀如来の掛け軸や仏壇が安置され、村人たちが毎日手入れしている。念仏道場としての機能も特別だ。一般のお寺と異なり住職はいないが、地域の門徒(信者)たちが自主的に運営を行い、報恩講(ほうおんこう)や盆、彼岸などの仏事にはここに集まって念仏を唱える。報恩講は親鸞聖人の命日に合わせて行う浄土真宗の重要な行事で、集まった村人が念仏を唱え、精進料理をいただいて先祖を偲ぶ。地域の人々が協力して行事を営みながら道場を支えてきた、その姿に温かさを感じる。この道場には興味深い伝承も残る。近くには「次郎右衛門堂(じろうえもんどう)」と呼ばれる祠があり、南北朝時代の貴人、伊東次郎右衛門が戦乱から逃れてこの地で亡くなり、その霊を慰めるために建立されたという言い伝えだ。戦時中、この一帯が演習場となった時も、村人はこの祠を守り通したというエピソードもあり、道場と併せて訪れる価値がある場所だ。また地域では、毎年「文化財防火デー」に合わせて消防訓練が行われ、消防団員や住民が念仏道場の建物に放水する訓練を実施している。こうした取り組みは、自分たちの手で地域の歴史や文化を守っていこうという村人の思いの表れであり、訪れる人にも地域の強い結びつきを感じさせる。周辺には樋瀬戸神明社という鎮守神を祀る神社もあり、春や秋の祭礼では獅子舞や奉納芸能も披露される。かつて日本の農村が神仏習合の中で生活を営んでいた姿が、今もこの小さな集落に息づいている。南砺市全体を見渡すと、世界遺産である五箇山地域の念仏道場や城端別院善徳寺、福光の光徳寺など浄土真宗にゆかりの深い史跡が点在するが、その中で樋瀬戸の念仏道場は特別な存在感を放つ。派手さはないが、地域の人々の信仰が時代を超えて今なお脈々と受け継がれている点で、ここほど素朴で温かな空間は珍しいだろう。南砺市を訪れた際には、歴史的な価値や建築物の美しさだけではなく、地域の人々の暮らしに根付いた「生きた信仰の場」として、ぜひこの樋瀬戸の念仏道場を訪ねてみてほしい。そこには観光地とは一味違う、日本人の原風景とも言える穏やかな時間が流れているはずだ。