八乙女山風穴の歴史を体感!
| 名前 |
八乙女山 風穴 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0763-23-2014 |
| HP |
https://culture-archives.city.nanto.toyama.jp/culture/bunkazai/bunkazai0180/ |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
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八乙女山風穴(やおとめやまふうけつ)は富山県南砺市にある八乙女山の山頂近くに位置する史跡だ。八乙女山は高清水山地の北端にそびえる標高756mの山で、この地域では昔から「井波風」と呼ばれる南風が吹き下りることでも知られている。実際に気象学的にはフェーン現象に由来する局地的な強風と考えられているが、古くはこの風が山頂付近の風穴から吹き出すと信じられてきた。風穴そのものは自然に形成された洞窟で、大きな岩と岩の隙間に、大人が入り込めるほどの空間がある。八乙女山の地形は東西に急傾斜があり、地質学的にも断層帯の影響を強く受けているため、このような空洞ができやすい条件が揃っているようだ。この八乙女山風穴にまつわる伝説は古く、奈良時代の養老元年(717年)にまで遡る。当時、越前(現在の福井県)から訪れた山伏・泰澄大師(たいちょうだいし)が、八乙女山に止観寺(しかんじ)という寺院を建立した際、地元の村人が山から吹く強風に悩まされていると訴えたという。その願いを受け入れた泰澄大師は、風穴のある山頂付近に風神堂(ふうじんどう)を建て、風の神を鎮めたと伝えられている。その後も風穴と風神堂にまつわる逸話は絶えなかった。戦国時代には、福光城主の石黒氏が祠に張られたしめ縄を試しに切ったところ、再びたちまち強風が吹き始め、村人を困らせたという逸話も残っている。室町時代には浄土真宗本願寺派第5世の綽如上人(しゃくにょしょうにん)が井波の地に瑞泉寺(ずいせんじ)を開いた際にも、村人の懇願を受けて風神堂を再建し、風神を再び鎮めた。ところが、綽如上人の没後、その堂宇は落雷で焼失してしまい、再び暴風が戻ったという話も伝えられている。また、風穴のすぐ近くには鶏塚(とりづか)という二つの円形の塚があり、こちらも八乙女山風穴と並んで史跡指定されている。この塚は元旦の朝になると鶏の鳴き声が聞こえるという奇妙な言い伝えがある。江戸時代には瑞泉寺11代住職の浪花上人(なにわしょうにん)がこの場所を訪れ、その不思議な現象を詠んだ俳句も残されているほどだ。八乙女山の山名の由来も興味深い。この地にはかつて、八人の乙女が神に仕えて風を鎮める儀式を行ったという伝説があり、その故事にちなんで名付けられたという説がある。現在でも風穴近くの風神堂では毎年6月に風神を鎮める祭礼が行われており、古くからの風神信仰を今に伝えている。こうした八乙女山風穴とその周辺にまつわる伝承や歴史は、単なる自然現象を超え、地域の人々の信仰や文化と深く結びついてきた。地元の歴史に根付いた数々の伝説は、現代に生きる我々にもその不思議さや神秘性を感じさせてくれるものだろう。