海軍指定工場の歴史を感じる。
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| 名前 |
昭和天皇行幸紀念碑 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
3.0 |
| 住所 |
|
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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かつて楡原には高田アルミニューム器具製作所という会社の工場があり、海軍の指定工場として水上飛行機のフロート(浮タンク)などを製造していました。工場には一般の工員の他に富山県の中学生・女学校の生徒が学徒動員で多数動員されており、会社では彼ら・彼女らのための寮も作っていました。この寮は戦後、外地からの引き揚げ者のための宿泊施設(恩賜財団同胞援護会楡原寮)として利用されることになりますが、昭和22年、全国巡幸の一環で富山入りされた昭和天皇は一連の日程の最後にこの楡原寮を訪問されました。「十一月一日。天空一碧、燦々たる秋陽は、神通川の碧水に映照して、山腹峡谷の霜葉は絢爛たる錦繍を織り成して居る」――とは、この日の模様を記した『富山県行幸記録』の一節です。今となっては、軍需工場のことも、そこで働いていた「学徒隊」や「女子(勤労)挺身隊」のことも、外地引き揚げ者のことも、すべては「遠い昔」の出来事になってしまったようで、この昭和天皇行幸紀念碑も大切に維持されているようには見えません。周囲を囲む鉄柵くらいは新しいものに変えて欲しいなあ。鉄柵の錆具合がそのまま「記憶の風化」を物語っているようで……。