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敷紡前駅(しきぼうまええき)跡は、富山地方鉄道笹津線に存在した無人駅で、敷島紡績工場と結びついた産業遺産である。1953年に開業し1975年に廃止され、工場輸送と通勤の拠点を担ったが、現在はホーム擁壁や桜の老木を残すのみである。かつてこの地には、富山市西大沢の国道41号線沿いに小さな駅が置かれていた。正式名は「敷紡前駅」だが、地元では「敷島紡績前駅」と呼ばれることも多かった。開業は1953年2月1日で、地鉄笹津線の八木山駅と地鉄笹津駅の間に位置した。当初は用地交渉が難航し、駅名標だけが草地に取り残されるという珍しい出来事も新聞で報じられている。駅は小さな無人駅で、棒線の単式ホームに片流れ屋根の待合所があるだけの簡素な造りであった。駅名が示すとおり、目の前には敷島紡績の笹津工場が広がっていた。シキボウは日本の十大紡績のひとつに数えられる大手繊維会社で、戦後の1947年には天皇行幸も行われるなど、笹津工場は地域の産業拠点であった。駅から600メートル東には敷島紡信号場が設けられ、工場へ向かう専用線が分岐していた。専用線ではデキ6502形電気機関車が貨物列車を牽き、最盛期には1日7往復も運転されていた。綿花や帆布原料がここから工場に運び込まれ、製品は全国へ送り出された。工場従業員の通勤列車も停車し、1969年からは朝夕の急行も停車するようになった。しかし1970年代に入ると、国道41号の整備と自動車利用の増加によって乗客は減少した。富山地方鉄道は1971年に路線廃止を申請し、1975年4月1日、笹津線全線とともに敷紡前駅は姿を消した。鉄道がなくなった後も工場は操業を続け、広大な敷地に戦前建築の工場群が残されている。近年では映画やドラマのロケ地として使われることもあり、地域の産業史を物語る場となっている。駅跡は現在も確認できる。ホームの擁壁や古い桜の木が残り、八木山駅跡へと続く線路跡はサイクリングロードに転用されている。現地に案内板などの整備は見られないが、往時を知る人々や鉄道愛好者によって語り継がれている。駅名標が草むらに放置された逸話や、工場前に立地した理由は、地域の産業と鉄道の関係を象徴するエピソードとして今も残る。この駅跡に立つと、規模は小さくとも、地域の生活と産業を支えた確かな存在であったことが伝わってくる。鉄道と工場が一体となって地域を動かしていた時代を思い起こさせる場所であり、残された遺構は静かにその歴史を語り続けている。