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| 名前 |
堂屋敷跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
3.0 |
| 住所 |
|
堂屋敷跡(どうやしきあと)は、金沢市夕日寺町にひっそりと佇む歴史の痕跡だ。今では木立が生い茂る静かな一帯だが、この地にはかつて奈良時代から続く名刹「養老山 下日寺(げにちじ)」、後の夕日寺(ゆうひでら)があったと伝えられている。この寺が建てられたのは、養老3年(719年)頃のこと。当時、白山を開いたことで有名な僧・泰澄大師(たいちょうだいし)がこの地を訪れ、夢の中で霊感を得て、自ら千手観音菩薩像を彫り、小さな堂を建立したのが起源とされる。寺の名「下日寺」は、富山にある上日寺(じょうにちじ)に対する呼び名で、やがて夕日寺と呼ばれるようになり、現在の夕日寺町の名の由来にもなった。寺は平安時代から鎌倉時代にかけて繁栄を極め、多くの参拝者が訪れたという。しかし、文明期の延徳3年(1491年)に戦火に巻き込まれ、本堂は焼失した。その際、幸いにも本尊の観音像と狛犬像だけが無事で、近隣の菅原神社に避難されたことで今日まで守られてきた。この狛犬には、特別な伝承が残っている。泰澄大師が観音像を彫った際の余った木材で作ったと伝わるこの狛犬は、村を荒らす猪を退治したり、狼から子どもを守ったという不思議な話が伝えられてきた。特に狼退治の逸話は地元でよく知られ、狛犬の口元に狼の血が付いていたという不思議な伝説は、今も地域の人々に親しまれている。金沢一帯で「飛びかかり狛犬」と呼ばれる躍動感ある狛犬が多いのも、この夕日寺の狛犬伝説に由来するという説があるほどだ。江戸時代にはすでに廃寺となり、堂屋敷跡という形で伝承だけが残されたが、その後も地域住民の信仰は厚く、観音像は菅原神社に一時安置されたのち、大正5年(1916年)に建立された夕日寺観音堂に改めて祀られるようになった。今もこの観音堂では地域の人々が年中行事として参拝を続け、信仰が守られている。現在の堂屋敷跡は、遊歩道沿いの森の中に静かに眠っている。案内板と小さなベンチが設置されているだけだが、かつてここに栄えた寺院の面影をしのぶことができる。堂屋敷跡の周辺には夕日寺観音堂や菅原神社、そして伝燈寺跡など歴史的な見どころも多く、この一帯を巡ることで、金沢の知られざる歴史を深く感じることができるだろう。夕日寺はすでに寺としての姿を失っているが、この堂屋敷跡を訪れれば、古の寺の盛衰や狛犬にまつわる不思議な伝承に、ふと心が引き込まれるような気がするはずだ。