羽生城の歴史を感じる酉の市。
羽生城跡の特徴
羽生城跡は1546年築城、歴史を感じる場所です。
12月25日には酉の市が開催され、賑わいます。
落ち着いた雰囲気が魅力で訪れる人々を引きつけます。
落ち着いた雰囲気です。
天満宮、入り口に解説板、碑が有る。遺構は、?
山内上杉方に属していた木戸忠朝によって築かれたと言われ、その後は越後上杉方と後北条方による争いの最前線となっていました。木戸氏は一貫して反北条だった様です。そんな歴史がある城ですが、遺構どころか面影も留めておらず、天神曲輪跡とされる古城天満宮前に城跡碑などが建てられている程度です。
羽生城は1546年に築城され1614年に廃城となりました。戦国時代、越後上杉氏の関東最前線の城でした。
毎年末、12/25に遅い開催の酉の市が行われます。
城主・広田直繁。反北条氏康、親上杉謙信派。
| 名前 |
羽生城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| HP | |
| 評価 |
3.0 |
| 住所 |
|
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何も城の遺構は残ってません。古城天満宮の敷地内に城跡の石碑と案内板があるだけで城の存在した遺構はありません。案内板によると羽生城は1540年代に築城され随分大きな城だった様です。(お手数ですが長くなってしまいますので詳しくは案内板写真を拡大するかインターネットで検索等なさってみてください。wikipediaにも羽生城に付いては詳しく出てます)何も残ってない故に色々想像が膨らみます。案内板の図を見ると東北の外れに鳥居の印がありこれがここの地の古城天満宮だと思われます(図に名称の記載なし)。西端には羽生の門前町(城下町)が描かれてて今の羽生市街地と同地点としたらここの東の辺りが城の正門(大手門)だと思います。すると堀も入れれば凄く大きな敷地の城になります。名残りとしては葛西用水路(羽生城が現存時はなかったと思います)に架かる橋に城橋が存在します。私の想像ですが、この現在の城橋の辺りが大手門だったのかなと思います。ちょうとここの古城天満宮と城橋の間に高山稲荷神社(マップ上表記は羽生陣屋跡、益子幼稚園の近く)がありますが、この辺りが本丸か二の丸だったのかと思います。もちろん城橋にも高山稲荷神社にも羽生城の遺構は全く存在してません。上杉謙信公も訪れた南方勢力との最前線の羽生城に付いて色々想像して想いを偲ばせてしまいます。長いクチコミにお付き合い頂きありがとうございました。