富岡市指定史跡で歴史を巡ろう!
富岡製糸場工女等の墓の特徴
富岡製糸場工女等の墓は富岡市指定の史跡です。
歴史的な背景を学べる貴重なスポットです。
周囲には美しい自然が広がっており、訪れる価値ありです。
富岡市指定史跡。傍らの案内板が詳しいので抜粋します。明治五年、殖産興業政策の一部として設立された官営富岡製糸場は、器械製糸技術の導入により、製糸業の近代化を図るための模範工場でもありました。このため、北海道から九州まで日本各地から工女が集まり、技術を習得し、帰郷後は指導者として活躍した工女も数多くいた。模範工場の名に相応しく、施設や工女たちの勤務状態は良好であったが、不幸にして、病に倒れ、異郷の地で若い命を落とした工女も存在した。明治六年から民営化後の明治三十四年の間に、六十余命の工女たちが亡くなり、龍光寺とここ海源寺にある。海源寺には明治六年から九年の間に亡くなった工女二人と工男一人の墓石があり、そのひとつには、次ぎのような辞世の句が刻まれていている。「夏の夜の夢路をさそふ時鳥、我が名をあげて雲の上まで」国の繁栄のために役立とうと、希望に燃えて遠い富岡の地に赴いた工女たちの姿が偲ばれる、とあります。墓の前にはきれいな花が捧げられていました。当時の工女は、地方有力者の子弟が多かったと聞きます。それこそ、新しい日本の役に立ちたいと富岡に来た人たちですから、その人たちには感謝の念しかありません。安らかにお眠りください!と拝んできました。
| 名前 |
富岡製糸場工女等の墓 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
5.0 |
| 住所 |
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