四柱神社で心寄せ集う。
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| 名前 |
四柱神社之碑 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
3.0 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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四柱神社の碑議定官枢密院副議長 正三位勲一等 一木喜徳郎 篆額神道は皇御国の広く正しき道にて斯道盛なれば国家栄□斯道衰ふれば国家も亦衰へぬ 此を以て先の天皇大御代知食しし初より殊に厚く天神地祇を崇め奉らせ給ひ 明治三年詔して惟神の道を天下に布き施すべき由のりこち給ひ 同じき五年教則を定め教導職を置き給ふ 斯くて大教院を東京に中教院を府県に置かれしか 松本中教院は同じき七年二月教部省に請いてこれを置き 天之御中主神 高皇産霊神 神皇産霊神 天照皇大神の四柱をその内に斎祀りしに 同じき十一年十一月四柱神社と唱へて崇め奉ることを公より許されたりき 之に依りて同じき十二年三月御殿を作り始めて十月一日に仕奉り畢へ 又同じき十三年六月天皇国々を巡り見行はしし時御社の側に行在所を造りて車駕を迎へ奉りぬ かくて共に力を戮せ心を一にして国内の人を説諭ししに道に心を寄せて集ひ来る人日々に多なりき さるを同じき廿一年一月此市の甚く焼けにし際に御社も其災に罹りしかば 仮殿を作りて坐せ奉り 其後神職を始め御社の事に与る人々日夜勤しみ労き 志篤き人々金銀種々の物を捧げ奉りてあななひ輔け旧の状にも立優りて瑞の御殿麗しく仕奉り 大正十三年五月に至りて事畢へぬ 今より後大神等の高き御稜威は弥々伊照り輝き広き御恩徳は弥々満足らひて 此御社は底清き女鳥羽川の流と共に永く絶ゆる事なく緑深き松本の里と共に常へにいよよ栄ゆべし大正十三年五月十七日正五位勲四等 佐伯有義 撰正五位勲四等 阪 正臣 書。