加賀市荒木町、タブノキと共に。
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| 名前 |
白山神社のタブノキ |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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加賀市荒木町にある白山神社には、この地域を長く見守ってきた立派なタブノキがそびえ立っている。神社自体は江戸末期まで「白山社」と呼ばれ、明治時代に入って神仏分離政策の影響で明治19年(1886年)に現在の「白山神社」と改称されたものだ。この神社に祀られているのは白山比咩大神(しらやまひめのおおかみ)という女神だが、別名を菊理媛神(くくりひめのかみ)といい、白山信仰の中心神として崇められてきた神様である。境内に入るとまず目に入るのが、加賀市の天然記念物にも指定されたタブノキだ。環境省の巨樹データベースによると幹周りは5.83m、樹高は31mもあるというから驚く。この規模のタブノキは北陸では珍しく、もともと暖かい海沿いに多く見られる樹木なのに、内陸の加賀市荒木町でここまで巨大に成長したのは植物学的にも非常に珍しいらしい。少なくとも百年以上の樹齢で、慶応3年(1867年)に神社の社殿が再建された頃には、すでに立派な大木だったと考えられる。このタブノキは社殿の右手、石段脇にどっしり構え、まさに神社のシンボルだ。常緑の濃い葉を茂らせ、神域を包み込むような姿が見る人に大きなインパクトを与える。白山神社の境内はこのタブノキを中心として杉やヒノキなど他の巨木にも囲まれ、静かで神聖な雰囲気が漂っている。昭和の頃には地元の子供たちが境内で遊ぶ光景が見られたらしく、石段を上がったところには古びたブランコが残っているのも印象的だ。地域の人々の日常生活のすぐそばに神社や巨木があったことをうかがわせる。また、この神社には文明5年(1473年)に浄土真宗の蓮如上人(れんにょしょうにん)が山中温泉へ湯治に向かう途中、立ち寄ったという伝承もある。上人はここで即席の敷物の上に「南無阿弥陀仏」と書き、それが虎の縞模様に似たため「虎斑の名号(とらふのみょうごう)」と呼ばれた。この名号を祀るために「蓮如堂(れんにょどう)」が建立され、現在も境内に併設されている。蓮如堂は仏教的な色彩を持った建物だが、神仏分離を経た現代でもこうした歴史遺物が境内に残されていることが興味深い。毎年4月25日の蓮如忌には一般公開されるというから、機会があれば訪れてみるとよい。タブノキに関してはその規模や景観だけでなく、巨木ならではの老齢化も進んでいるようだ。最近では木の一部に大きなキノコ(サルノコシカケ)が生えているとの報告もあり、専門家からは木の健康を保つため早期の対策が必要という声も上がっているらしい。天然記念物として指定されているだけに、市の担当者や地元の人々の協力のもと、大切に保護されていることは心強い。神社そのものの歴史にも触れておくと、現存する社殿は江戸時代末期の慶応3年頃に再建された木造のものとされている。当時のまま残る社殿の屋根飾り(擬宝珠)には年号が刻まれているという。白山信仰に深く関係するこの神社は、明治時代の神仏分離によって仏教色を薄めつつも、地域の信仰拠点として存続してきた。神社の鎮守の森の中に点在する石造物や十三重の石塔も古い歴史を感じさせ、地域の人々の厚い信仰を今に伝える貴重な遺産と言える。さらに、この白山神社は地域の有名な観光スポットである鶴仙渓(かくせんけい)やこおろぎ橋、そして石川県指定文化財の武家書院「無限庵(むげんあん)」とも参道で繋がっている。鶴仙渓の美しい渓谷を歩き、朱塗りの木橋を渡った先に静かに佇むこの神社を訪れると、加賀の歴史や文化をより深く感じられることだろう。白山神社のタブノキは、単に巨樹としての価値だけでなく、神社や地域の歴史、そして人々の信仰心を体現した存在だ。これからも加賀の土地と人々を静かに見守り続けていくことを願っている。