河原神社、歴史を感じるお社。
河原神社の特徴
道路際の狛犬が目を引く古びた神社です。
駐車スペースがあり、訪れやすい立地です。
歴史を感じる小さなお社として親しまれています。
道路際に狛犬 誘われました 小さなお社ですが感じのいいところです駐車スペースがあります 見ればわかる トイレは無いです。
古びて歴史のありそうなお社でした。
歴史がありそうで!素晴らしい!神社です。
| 名前 |
河原神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 評価 |
3.0 |
| 住所 |
|
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河原神社(かわらじんじゃ)御祭神 住吉大神(表筒男命・中筒男命・底筒男命)境内社 青麻三光社(鳥居を潜り境内すぐ右手) 一目蓮社・多渡社(社殿の左手前) 芝山祠(社殿左後方) 弁天由緒当地は、利根川が運ぶ肥沃な土壌を背景に古くから開け、私市党(さきいとう)河原氏が兄弟で領有し、兄の領地を南河原、弟の方を北河原と呼びました。私市党は、平安時代後期から鎌倉時代・室町時代にかけて、武蔵国を中心として下野、上野、相模といった近隣諸国にまで勢力を伸ばしていた同族的武士団「武蔵七党」のひとつです。河原神社は社記によると、応保元年(1161)平賀冠者義信が武蔵守に任ぜられ、関東へ下向し、河原郷(南河原)に城廓を築いて居住した折に、先祖以来信仰していた住吉の神を祀るために、入間郡勝呂郷(現坂戸市塚越)の住吉明神の分霊をこの地に勧請し、勝呂明神と称したことに始まるといわれています。下って慶安二年(1649)十月一七日、江戸幕府より社領四石五斗の御朱印を賜わりました。明治二年(1869)社名を河原神社と改めて村社となっています。明治四十一年(1908)に、字屋敷の浅間社・伊奈利社、字新屋敷の八幡社・一目蓮社・三峰社・伊奈利社、字諏訪ノ宮の諏訪社・伊奈利社・塞神社、字町の天神社・伊奈利社・八坂社、三峰社・金山社、字西浦の伊奈利社、字光二ノ町の白山社・八坂社の計十七社が合祀されました。(「埼玉の神社」及び「新編武蔵風土記稿」参照)河原神社所蔵の文化財「建長二年銘板碑」建長第二庚戌(1250)九月の板碑は、鎌倉から室町時代、追善や逆修供養のために造立された石造物で、石材は荒川上流の長瀞周辺に算出する緑泥片岩です。この板碑は南河原最古のもので、古墳時代の石棺石材の転用を示す初例です。上半分が欠損していますが、基部に棺を直角に組むためのホゾが残っています。(「境内案内板」より)行田市指定無形民俗文化財「在家の獅子舞」在家のささら獅子舞は、河原神社の八月の例祭に奉納されています。起源については不詳ですが、古くから「住吉よりのしきたりの行列ありて御輿の前で獅子舞をなしつつ村中を巡った。これを御神行と申し豊年萬作を祈願した。この獅子舞の様は恰かも獅子の荒れすさぶが如き感あり、如何なる悪魔も厄神も恐れをなして退散する。」と言い伝えられています。(「行田市公式HP」より)