高崎城東門で歴史を感じよう!
高崎城 移築東門の特徴
高崎城東門は、出桝形の北側に位置している歴史的な通用門です。
十六の城門の中でも、本丸門や橋門と並ぶ重要な門として知られています。
慶長3年に井伊直政によって築城された高崎城の一部で、現存する貴重な門です。
【高崎城東門の由来】高崎城十六の城門中、本丸門(雀門)橋門、東門は平屋門であった。そのうちくぐり戸がついていたのは東門だけで通用門として使われて寛政十年正月(一七九八年)と天保十1月(一八四三年)の二度、火災により焼かれ、現在のように建て直されたものと考えられる。くぐり声は乗篭が通れるようになる。門は築城当初のものよりかなり低くおり、乗馬のままでは通れなくなってこの門は明治のはじめ、当時名主であった梅山氏方に払いさげられ、市内下小鳥町梅山大作氏方の門となっていた。崎和田ライオンズクラブは、創立十周年記念事業としてこれを梅山氏よりゆずりうけ復元移築し、昭和五十五年二月、市に寄贈したものである。昭和五十五年三月高崎市教育委員会。
詳しい事はよくわかりません。案内板には詳しく書かれていますが、そうか~い!って感じですかね。とにかく良く残っていてくれた!!こういう建造物見ていると、歴史の中に自分は生きているって実感するのです。皆で守っていかなければ、なんて思います。
もともとあった城の門ではありませんでした。説明文には移築して長く保存されてきたことは評価すべきところです。音楽センターに立ち寄ったついでに見る人が多いようです。
慶長3年(1598年)井伊直政は箕輪城から築城中の高崎城に移った。とあります。
現存門と思われるが説明板がなくよくわからんちーと叫んでしまった。せめて説明板ぐらいは設置して欲しいな。あとしっかりとした整備もお願いしたい、貴重な歴史遺産やから、ね。頑張れ高崎市。高崎市の頑張り如何で評価を上げることとする。
| 名前 |
高崎城 移築東門 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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東門は、もとは追手門(現在の高松郵便局付近)から南約240mにある「出桝形」の北側(現在のシンフォニーロード付近)にあり、通常は扉を開き、城内に出入りする武士や商人などを通行させたいわば通用門でした。東門も乾櫓と同じように下小鳥町に移築されていたものを、昭和55年現在の場所に復元移築し、高崎市に寄贈されました。なお、櫻井家旧蔵「高崎城絵図並びに文書」などに描かれた東門とは形状が異なっています。一説に二ノ丸にあった藩主居宅の門であるとも言われます。