井伊直政の正室、墓所巡り。
井伊直政正室の墓 井伊直好生母の墓の特徴
墓所には井伊直政の正室の墓があり、歴史を感じる場所です。
同じような五輪塔が二基存在し、興味深い構造です。
井伊家の歴史を知る貴重な史跡が安中市にあります。
当然、2基あります。両方とも安中市指定史跡になっています。安中市指定史跡であると表示された看板が立っているのが西側の五輪塔(お墓)が井伊直政の長男直勝の内室で直好(安中藩主時代は直之と名乗っていた)の生母隆崇院のもの。一ブロック飛んで東側にあるのが、箕郷城主井伊直政の正室唐梅院のもの。井伊直政は徳川四天王の一人で徳川家康が関八州の太守として関東入りした時に、箕輪12万石を任された。直政正室唐梅院は松平周防守康親の娘で、井伊直勝が彦根藩主から安中藩主となった時に共にやってきた。当初東梅院を諡としたが、唐梅院と変更したという。直好生母は直勝の側室であり、出自については諸説あり、亡くなった時に、隆崇院の名を贈られた。安中教育委員会発行「安中市の文化財」を抜粋しました。
| 名前 |
井伊直政正室の墓 井伊直好生母の墓 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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墓所には同じような五輪塔は二基あり、井伊直政の正室(唐梅院)の墓は東側、井伊直勝の側室(隆崇院)2代直好生母の墓は西側と云われています。井伊直政の正室は井伊直政が直政が高崎から彦根に移ったて住んでいたが、直政は関ヶ原合戦の鉄砲傷が元で死去(1602年)し、最初は井伊直勝(正室の長男)が継いだが、病弱のため大阪冬・夏の陣には直孝(側室の二男)が出陣した。その後徳川家康の命により彦根藩は直孝が、直勝は安中藩三万石に入部した。それに伴って直勝の生母(唐梅院)も安中に住んで、この地で1639年(説明板には1629年)に亡くなった。直勝の側室の直好生母(隆崇院)は1644年に亡くなった。