弘経寺裏門の魅力満載。
浄土宗 弘経寺 裏門(結城城大手門移築)の特徴
弘経寺の裏門は結城城大手門と伝えられる貴重な歴史的建物です。
裏門の屋根の葺き方は表門とは異なり、独特の魅力を放っています。
万治年中に創建された弘経寺の裏門は、時代を超える美しさがあります。
この裏門は、万治年中(1660年頃)創建されたもので、その昔結城城の大手門と伝えられている。結城城は、関ケ原の戦いで徳川方が勝利し、慶長六(1601)年結城秀康が越前(北の庄)へ68万石で移封となり、その結果、廃城となった。建屋の多くは家康の命により、現在の埼玉県鴻巣市の勝願寺近辺に移築されたようであるが、結城城の大手門は時を経て弘経寺[ぐぎょうじ]に移築されたのか。1660年という年代は気に掛るが、それも然りであろう。弘経寺は数え4歳で亡くなった秀康の長女(お松)の供養のために秀康が創建した寺であるから。《2023.10.21訪問》
| 名前 |
浄土宗 弘経寺 裏門(結城城大手門移築) |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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弘経寺の山門(薬医門)は裏門と呼ばれていて、表門と呼ばれる山門とほとんど同じ造りですが屋根の葺き方が異なります。また万治年中頃(1660年頃)に創建された結城城の大手門を移築したと伝わります。一間一戸の四脚門で本柱二本の前後に控柱を設けて柱の上下に貫を通し本柱二本の間に縦板張りの門扉を付けている、柱の上に笠木(梁)を渡し切り妻造り「銅板葺き」の屋根を載せています。本柱の橫に瓦屋根を載せる縦板張り半間の潜戸を左右に付けている、潜戸の橫には一間の袖塀が設けられ上部を白壁として下部を橫板張りとしています。通路の上の梁に山号の「壽龜山」の扁額が掲げられています。山門の右側に「裏門」の石柱があり山門の移築の経緯が刻まれています。