安中市指定史跡で歴史を感じる。
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| 名前 |
漆園の記碑 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
5.0 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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安中市指定史跡。昭和45年10月1日指定。当時の安中藩主板倉勝明(1809〜1857)は殖産興業政策の一つとして領民に漆の栽培を勧め、安政三年(1856年)に領内の閑地に百万株の漆の苗木を植えさせた。この石碑は、その利益の配分を定めた記録である。しかし、安政四年、板倉勝明が没し、苗木も洪水や野火等によって失われ、また漆にかぶれるといった被害の為、また利益の配分案が、実際の生産者である農民に歓迎されず最終的には失敗することとなった。この時の実務上の責任者は、郡奉行であった儒学者で松前藩士から安中藩士となった山田三川(やまださんせん)であった。寛永五年四月、板倉勝明の要請により安中藩儒として招聘された人。水街道での評判を聞いた徳川斉昭が当時不遇をかこっていた三川を知り、板倉に紹介したと言われている。山田三川って、なかなか魅力的な人物です。三川は安中藩の藩校で教えた師弟の一人が新島襄であり、後に新島襄は函館港から密航を企てるのであるが、函館港が外国に対して開かれた港であることを教えたのは、山田三川だと言われている。人の出会いとは不思議なものですね。三川は文久二年八月十五日、安中市で死亡。墓所は安中市の竜昌寺にある。すぐ近くである。とても質素な墓所で、びっくりします。