埼玉の歴史ロマン、古墳群散策!
埼玉古墳群の特徴
整備された広い公園内からは、丸墓山古墳の美しい景色を楽しむことができます。
古代蓮の里との組み合わせで、歴史ロマンを感じつつ写真撮影にも最適なスポットです。
日本最大規模の大型円墳や前方後円墳などある古墳群広い敷地を歩いて見れるが結構疲れます古墳に登ると周りの景色が良く見える。
初めて古墳群を拝見させていただきました。古墳の上にも登ることができ、そこからの眺めは素晴らしく、心が晴れやかになりました。貴重な体験をさせていただき、誠にありがとうございました。
埼玉古墳でランニングしました走りながら古墳を見て回ってそれなりのランニングあっという間の時間でした。ワークアウト後はお隣のお風呂で汗流してさっぱり!気持ちのいい時間。
関東七名城の忍城へ行った帰り道にたまたま見つけた古墳群でしたが、目的地だった忍城よりも良かったという感想です。古墳というと、歴史でも習ったし世界遺産にも認定されている仁徳天皇陵を思い浮かべますが、埼玉にもこういう場所があるんだということを初めて知るとともに、古墳は国内の色々な場所にあるんだということを改めて知る機会になりました。古墳は天皇陵だけではなく、古墳時代の豪族のお墓として造られたものが沢山あるようです。埼玉古墳群は、古墳時代の5世紀後半から7世紀中頃にかけて、大宮台地の北端に連続して築かれた、前方後円墳8基、大型円墳2基、方墳1基並びに小円墳群で構成される古墳群です。台地上の狭い範囲に大型古墳が密集する全国でも屈指の規模の古墳群です。古墳が密集する光景は初めて見たので、なかなか感動しました。階段で上まで上れる大きな前方後円墳の稲荷山古墳や、一番高くて見晴らしの良い円墳の丸墓山古墳は上ることをお勧めします。上れないけど、菜の花が綺麗な(桜が咲く少し前の訪問だったので)前方後円墳の将軍山古墳も良かったです。戦国武将の石田三成が忍城の水攻めに失敗した石田堤の一部はこの古墳の中に残っています。以下↓余談です。8世紀初頭の奈良時代以前の歴史に明るくない自分にとって古墳時代と飛鳥時代の違いが良く分からなかったので、少し調べてみました。古墳時代と飛鳥時代の主な違いをまとめると、以下のようになります。1. 時代区分古墳時代(3世紀後半~7世紀前半)飛鳥時代(6世紀末~8世紀初め)時代区分には諸説ありますが、古墳時代と飛鳥時代は一部重なっています。2. 政治の中心古墳時代:大和政権(大王を中心とする豪族連合)が支配飛鳥時代:天皇中心の中央集権国家への移行(推古天皇・中大兄皇子・天武天皇など)3. 文化・宗教古墳時代:前方後円墳が築かれる飛鳥時代:仏教の伝来によって寺院や仏像が広まり飛鳥文化が発展4. 建築・芸術古墳時代:巨大な古墳(仁徳天皇陵など)、埴輪の作成飛鳥時代:飛鳥寺や法隆寺などの仏教建築が登場5. 政治制度の変化古墳時代:氏姓制度(豪族が氏族ごとに役割を持ち、大王を支える)飛鳥時代:大化の改新で中央集権化が進み、律令制への布石が築かれる6. 文字の普及古墳時代:漢字が伝わる飛鳥時代:公的な記録や法令(冠位十二階、十七条憲法など)に漢字が本格的に使われるまとめ古墳時代は大和政権と古墳文化が特徴で、飛鳥時代は仏教の影響と中央集権化が進んだ時代といえます。
古代蓮の里で田んぼアートを見た時、それだけで帰るのも何なので、歩いて来れそうな当所も序に訪れました。ここまでで体力使った後に、古墳が結構あり、アップダウンもあり、見て回るだけで疲れましたw都内で古墳探索した時は、こんもり盛り上がた場所?にしか見えないので、ここまでハッキリ前方後円墳の形に成っていると嬉しくなりますw石田堤のように歴史に歴史を重ねる史跡があるのも面白いですし、時間の関係で資料館や土器体験は出来なかったので、また来ても良いかなと思います。
歴史を見守ってきた古墳群。石田三成の忍城水攻めの話は特に興味深い。今度は満開の桜の時期に来てみたい。
さいたまという県名の由来になった場所。たくさんの古墳があった。春は古墳とともに満開の桜が見られるから、結構楽しめた。
群馬の古墳群も良いですが、さきたま古墳公園も素朴で整備されていて、ゆっくり見て回るには最高です✌️古墳には梅が良く似合ってますね。
ここに来ると巨大古墳だらけで古墳の概念が変わります。畑がもっこりしたのが古墳でしょ!と考えてるあなた、是非いらしてください。巨大古墳は大迫力です。
| 名前 |
埼玉古墳群 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
048-559-1111 |
| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
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こんなにたくさん古墳があるとは驚きです。また、しっかりと足元が整備されていて、とても散策しやすかったです。