伊勢湾台風の歴史を感じる場所。
| 名前 |
伊勢湾台風痕跡水位の碑 |
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| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
〒639-3102 奈良県吉野郡吉野町河原屋639 3102 |
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昭和34年(1959)9月26日に来襲した台風15号、のちに伊勢湾台風と呼ばれる台風のモニュメント。吉野町の年表によれば平成9年(1997)9月に伊勢湾台風痕跡水位の碑除幕式とあります。伊勢湾台風と呼ばれるように伊勢湾周辺、特に木曽三川が流れ込む周辺に甚大な被害をもたらしましたが、紀伊半島においても大きな被害をもたらしています。吉野町も大きな被害を受けていますが、その詳細については町史においても、あまり触れられていません。このモニュメント近辺での被害としては、西へ約500メートルいったあたり、国道の擁壁が崩壊し、桜橋の北側、上市橋の南側が落橋しています。また吉野小学校跡や土場のある場所は中洲となっており、現在は埋め立てられましたが南側を通る川があり、ここに架かる材木橋に上流から流れ込んだ流木が引っかかり、堰き止められ水が溢れ、小学校跡にあった吉野中学校に流れ込み、浸水と流出の被害をもたらしました。県のまとめによれば伊勢湾台風では吉野町の被害は死者3名、負傷者5名、行方不明1名、建物の被害は全壊20、半壊152、流出59、床上浸水668、床下浸水200、非住家屋被害1008、罹災者3594となっています。罹災者数で言えば奈良県下では吉野町は五條市についで多いのですが、人口比からみれば上流の川上村を含めた県南部の被害が甚大なものとなっています。特に川上村は高原で発生した山津波もあり、奈良県内ではもっとも多くの死傷者および行方不明者を出しており、その遺体が後日に上市であがることもあったようです。このモニュメントの水位は、最大瞬間水位と思われますが、これは吉野川の水量の増加だけでなく龍門川との合流地点でもあり、また下流500メートルで大きく川が蛇行していたことなど、複合的な要因によって発生したものと思われます。また吉野川沿いの古い建物や神社を見ると今の川沿いの道よりも一段高い場所にあって、これは常に吉野川の洪水に晒されていたということが言えましょう。