熊野神社近くの隠れ家。
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| 名前 |
十九夜供養塔群 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| 評価 |
3.0 |
| 住所 |
|
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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熊野神社の石鳥居の手前を左に入るとある。安永三(1774)、刻の、十九夜供養塔。南無觀音菩薩、の石柱。石碑(読み取れなかった)。文政元寅(1818)十月吉日、刻の、十九夜供養塔。上が欠けて、年号の読めない、十九夜供養塔。お顔にヒビの入った、十九夜供養塔。天保十五年辰(1844)十月、刻の、十九夜供養塔。年号のわからない、供養塔。赤い着色が残っている。十九夜講は、年に何回か、月の19日に、十九夜様と呼ぶ本尊を祭る講のこと。同信者だけの場合と、地域的な集団の場合があるが、多くは、地域的な集団で、年齢は老若様々である。祭りの宿は、講員の家を順にまわる。宿では、床の間に、十九夜様の掛け軸をかけ、ロウソクや線香.ダンゴ、餅などを供え、十九夜念仏を全員で唱える。長いところでは、1時間以上もかかる。村の中に祀られた石仏の十九夜様の前で、祭りをするところも多い。お産の近い家では、十九夜様に供えた、燃えさしのロウソクをいただいて帰り、陣痛が始まった時に、それをともすと、燃え尽きるまでの短いうちに、お産が済むと信じられている。かつては、夜に十九夜講をやっていたところもあったが、現在では、昼食をはさんでの女の人の娯楽的な傾向が強い。今なお、女人講として、非常に多く残っている。ー十九夜講(抜粋)『栃木県大百科事典(昭和55年6月8日発行)』ー。