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長井雅楽(ながい うた)=時庸(ときつね)萩の一番大きな?交差点の角に石碑があります。説明板の写し。文政2年(1819年)萩藩大組士 長井次郎右衛門の長男として生まれ、藩校明倫館で学び秀才の誉れが高かった。文久元年(1861年)幕府の開国策に対し、京都を中心に鎖国論が高まったとき、萩藩の対策として「航海遠略策」と名付けた開国貿易を基本とした公武合体論を建言した。幕府も賛同し公武間の周旋に奔走したが、久坂玄瑞を中心とした尊王攘夷派の非難を受け、また朝廷を誹謗した責めを負って自刃した。こうして萩藩の公武周旋は失敗に終わったが、外様大名であった萩藩が幕府政治に関与したことで以後の幕末政治に大きな影響を与え、幕末維新にわたって政治の中心的役割を担うようになるのはこの時以後であり、長井雅楽の果たした役割は大であった。