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| 名前 |
佐野薬師堂 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
3.0 |
| 住所 |
|
塩田・別所にほど近く古道(東山道)に近接する桑原にも、古代の仏教と学僧たちによる知識や技術が伝わったと見られます。佐野から聖高原におよぶ地帯にはいくつもの密教寺院(修験霊場)が開かれたようです。この地帯に古来、溜め池が多も、とくに真言密教の学僧たちによって農業土木技術がもたらされたことが大きな理由ではないかと見られます。麻績に近い聖山や猿ケ馬場峠にも密教寺院があったと見られます。おりしも仏教思想がもっぱら大和王権の権威を裏打ちする宗教から脱して民衆の支援し救済する実践的な文化活動へと転換していく時期ともなっていました。民衆に医療や農耕知識を施す活動は、薬師如来を祀る密教寺院を中心として広がり、民衆が現生で享受する利益(りやく)となり始めました。薬師如来信仰と医療は密航寺院をつうじて民衆の間に広がっていきました。おりしも、10世紀末には佐野川下流部に桑原郷が開かれていて、桑原から聖高原にいたる地帯の密教寺院の活動とも結びついたのではないでしょうか。すでに佐野には薬師如来を本尊とする真言密教の――七堂伽藍を備えた――有力寺院、医王院長福寺が開かれていたようです。ただし、佐野という地名が現在の佐野区を意味するのか、佐野川流域の山間を意味するのかは不明です。平安末期(仁平年間)に冥海という僧が薬師如来像を祀った小堂を設けたのは、現生利益に結びつけて施療しながら、薬師如来と仏教思想をわかりやすく民衆に伝えるためだったのではないでしょうか。