縁結びと夫婦円満、足立神社。
笠原久伊豆神社の特徴
出雲大社と同じ大国主神をお祀りする神社です。
延喜式の武蔵国に在る古社で歴史があります。
山西風の社殿が特徴的な神社です。
笠原久伊豆神社(かさはらひさいずじんじゃ)御祭神 大己貴命合祀神 菅原道真公 家都御子神 木花開哉姫命 倉稲魂命 熊野夫須美命 速玉之男命境内社 菅原神社 弁財天石祠 八幡宮・稲荷大神石祠 八雲神社由緒笠原村 久伊豆社 村の鎮守なり 東光寺持社人高橋右門は、江戸淺草田原町神事舞太夫田村八太夫配下なり淺間社 正福寺持(「新編武蔵風土記稿」参照)「日本書紀」安閑天皇元年(534)閏十二月条には、笠原直使主と同族の小杵が武蔵国造の地位をめぐって争ったという記事があります。笠原直使主は「和名抄」記載の埼玉郡笠原郷を本拠とした豪族と推定されます。当地は、この笠原郷の遺称地とされ、古い開発をうかがわせます。「吾妻鏡」建久六年(1196)三月十日条には、源頼朝の奈良東大寺供養に従った随兵のうちに笠原六郎の名が見え、更に正治二年(1200)二月二十六日条には、源頼朝の鎌倉鶴岡八幡宮参詣に従った供奉人として笠原十郎左衛門尉親景の名が見えます。この両名は、笠原を名字の地とする武士と思われ、平安末期から中世にかけて南・北埼玉郡に勢力を振るった武士団である野与党に属すると推測されます。久伊豆社は一般に野与党や私市党の共通の祖神とされていて、当神社もそのような中で奉斎された社の一つと思われます。当神社は「風土記稿」笠原村の項に「久伊豆社 村の鎮守なり、東光寺持、社人高橋右門は、江戸浅草田原町神事舞太夫田村八太夫配下なり」と記されています。また、当神社の別当寺だった東隣の真言宗東光寺は、慶安二年(1649)に阿弥陀堂領として朱印地十一石余を与えられたといいます。明治六年(1873)に村社となり、同四十二年(1909)には大字笠原字弐貫野の菅原神社と伊奈利社、字永井戸の熊野社、字前新田の浅間社の計四社の無格社を合祀しました。(埼玉県神社庁発行「埼玉の神社」参照)鴻巣の地名の由来は、古代、武蔵(天邪志)国造である笠原直使王が、現在の鴻巣市笠原のあたりに住み、一時この地が武蔵の国府となったことから、「国府の州」と呼ばれたのが始まりで、それが「こふのす」となり、後に「コウノトリ伝説」から鴻巣の字をあてはめるようになったと云われています。笠原久伊豆神社は、安閑天皇元年(534)の武蔵国造の乱で争った笠原直使主の本貫地笠原郷の地と推定されることから、延長五年(927)に作成された延喜式神名帳に記載される「足立神社」ではないかともいわれています。また、延喜式神名帳に記載される「武蔵国足立神社」の論社は当神社の他に、さいたま市西区飯田の「足立神社」や、さいたま市浦和区上木崎の「足立神社」、さいたま市北区宮原町の「賀茂神社」が挙げられています。境内左手神楽殿の左隣に境内社菅原神社があり、その左手前に力石が置かれています。力石には「奉納力石三拾八貫目 中谷弥左衛門 延宝元歳 太兵衛」と刻まれています。本殿覆屋内には、左から字弐貫野より合祀の笠原神社、久伊豆神社、字永井戸より合祀の熊野神社が並んで祀られています。笠原久伊豆神社の接している県道38号加須鴻巣線は、嘗ての騎西道で、別名「御成道」とも称されていました。御成道の名前が示すとおり、徳川家康が鷹狩のさいに通ったとされる道で、鷹狩で騎西方面に向かうために、家康が新たに作らせた街道です。
出雲大社と同じ大国主神を祀るので、縁結びや夫婦円満を願いましょう。隣に駐車場がありますが、参拝とは関係なく地元民が車を停めています。
初参りに行ってます。
【山西風の社殿】国武武足立足立郡足立神社(原文)延喜式内社,武蔵國 足立郡 足立神社。
延喜式の武蔵国足立郡鎮座「足立神社」の論社とされる古社。ただ、この地域は古くから埼玉郡に属していたはずであり、なぜ足立郡鎮座の神社論社になっているのか。他、足立神社の論社には、さいたま市の西区と浦和区に足立神社が、北区に加茂神社がある。それはともかく、この地は武蔵国造・笠原氏の本拠とされ、古墳時代以前にはすでに開発されていたと考えられる。また、境内脇を通る県道38号線はかつては「騎西道」とも呼ばれ、鴻巣御殿から騎西城を結ぶ道であったともいう。そうした面からも、相当な古社であると推測できる。現在の社殿は建築年代不明ながらも、元荒川流域に点在する他の久伊豆神社が(岩槻や越谷は別として)小規模な社殿であるのに比べ、横幅も広く取られ大きめな作りになっている。本殿は覆屋の中で不明だが。
| 名前 |
笠原久伊豆神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
048-542-7293 |
| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
|
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
周辺のオススメ
足立郡式内社4座の1座の足立神社の論社。資料によると、創建年代等は不詳ながら、安閑天皇元年(534)の武蔵国造の乱で争った笠原直使王(かさはらのあたいおみ)の本貫地笠原郷の地と推定されることから、延長5年(927)に作成された延喜式神名帳に記載される「足立神社」ではないかともいわれます(論社)。ただ、社号の「久伊豆社」は平安時代末期に埼玉郡域を本貫地とした野与党や私市党の共通の祖神とされることから、野与党や私市党により勧請されたのではないかとされます。とあります。御祭神は大己貴命。