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堀出神社 の由緒主神:• 伊邪那岐神(いざなぎのかみ)• 伊邪那美神(いざなみのかみ)配神:• 建御名方命、八坂刀売命(諏訪神社へ2社)• 天照大神(神明社)、素盞嗚尊(羽黒神社)• 大山祇命(大山祇神社)、大己貴命、少名彦命(文珠堂)• 豊受大神(豊受神社)、菅原道真(菅原神社)• 譽田別命(若宮神社)※大正5年10月5日合祀鎌倉時代の初め、源義光の子、平賀越前守盛義の孫である「金津小二郎資義」が堀出神社社丘付近に金津城を築城の際、二体の御神像が掘り出され、この跡から黒い水(石油)が湧き出たと伝えられています。この御神像を伊邪那岐神・伊邪那美神として祠を建てて祀り、産土の神「堀出大神」として奉仕したのが始まりとされています。御神像を掘り出した跡は「開基坪」と呼ばれています。金津地内には在来より木戸守りとして12社が存在していましたが、参拝するの大変だった上に、祭典は各戸ごと(各木戸ごと)に奉斎されており、村民に相当な負担がかかっていました。大正時代に入り、当時の日本の石油王であった中野吉藏一族は村人と相談の上、土地(約2,000坪)と造営費(37,500円 ※現在価値で約1億円)を寄進し、その功の認可を得た上で10社を堀出神社と合祀し、大正10年(1921)11月に荘厳な社殿を造営しました。