善光寺裏手、歴史の息吹。
健御名方富命彦神別神社の特徴
善光寺の裏手に位置し、朱い明神鳥居が目印の日々の訪問者を魅了する神社です。
千曲川と犀川の合流地点に建ち、水難の地としての歴史を感じさせる記念碑があります。
見晴らしが良く、かつては善光寺平を一望できる鎮守として知られていたことが伺えます。
元は「水内(みのち)」を冠する神社だったよう長野は佐久辺りから来る千曲川と塩尻辺りから来る犀川が合流する場所で、ほぼ長野県の北半分くらいの水が集まる水難の地だからなのか千曲川第一期改修工事についての記念碑がある他にも明治天皇に冠する碑もあり、かつては栄えた神社だったのだろう今では管理も難しいらしく、隣の善光寺の賑わいの欠片すらない前回来たときは拝殿横の松が倒れていたが、25/8/6現在、さすがにそれは撤去されていた本来であれば善光寺平を一望する鎮守であっただろうにこうやって粗末に扱うのが今風なのだろう。
同じ名前で飯山市と長野市にある様ですね。ただ、びっくりしたのは草ボーボーでして、裏に回ると大木が折れて社の屋根に寄っかかってました。大丈夫かな?屋根瓦?由緒はかなりある様ですが、管理されてるんですかね?長野神社庁舎のお膝元の神社なんですが。
善光寺の本堂から東へ約300mまっすぐ進むと、道路の左側に健御名方富命彦神別神社の朱い明神鳥居が見えます。城山(じょうやま)公園の一角に鎮座しており、彦神別神社、城山県社(じょうやまけんしゃ)、水内大社(みのちたいしゃ)などと通称されます。延喜式神名帳に記載されている健御名方富命彦神別神社に比定されますが、飯山市と長野市に合併された旧信州新町に同名の論社があります。また、健御名方富命彦神別神社は持統天皇5年(691)龍田大社や諏訪大社とともに勅使が派遣された水内神であろうと考えられています。元は善光寺本堂北側にあって年神堂・八幡宮と称されていましたが、明治12年(1879)現社地に遷座しました。御祭神は諏訪大社と同じく健御名方富命。しかし、社号から考えれば健御名方富命の長子である彦神別命が妥当のように思います。(建御名方富命神別神社より)※天孫降臨(邇邇芸命)への国譲りで大国主命の次男神の建御名方神が反対し、建御雷神を怖れて出雲から諏訪湖まで逃げた際に通った場所とも伝わるが神話の世界のことであり詳細は判らない。
敷地は立派で、見晴らしもよいです。長野県立美術館の横に建つ神社。
健御名方命彦神別神社市営城山第三駐車場🅿️が近し。
| 名前 |
健御名方富命彦神別神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| HP |
https://www.nagano-jinjacho.jp/shibu/01hokusin/01hansui/takeminato.htm |
| 評価 |
3.6 |
| 住所 |
〒380-0801 長野県長野市長野1丁目3 健御名方富命彦神別神社(水内大社) |
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