妙高山を借景に、歴史を感じる庭園。
旧関山宝蔵院庭園の特徴
江戸時代後期に作られた庭園は、最近復元作業が完了した。
銀杏の木が鮮やかに色づく季節に訪れると美しい景観が楽しめる。
妙高山を背景にした池泉や滝組が織りなす絶景が魅力のスポットです。
借景の妙高山は雲で隠れていた。
植栽や築山が施された庭園からの池泉と滝組、そのバックにそびえる妙高山とのコンボが、思わず息をのむような景観です。
庭園は妙高山が借景になっていました。
素晴らしい庭。
内部も見れて建造物の素晴らしさや歴史も感じられて良かったです‼️
神聖な場所です✋銀杏がまっきっききれいでした❗️
今は復元中の国の重要文化財である宝蔵院跡。庭園の石組が見事。庭園の先には借景として妙高山が見えます。また、裏手には代々の住職の墓地があり、時代により石塔の形が変わっているのも興味深い。建物も復元されるのかは分かりませんが、出来れば完全復元されることを期待したいですね。
名前 |
旧関山宝蔵院庭園 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
4.2 |
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現在の関山宝蔵院跡の庭園は江戸時代後期に作られたもので最近復元作業が終わりました。庭園の築山の三つの石の阿弥陀三尊を表してその上に妙高山が見える形になっております。妙高山は飛鳥時代末期の和銅元年(708)に裸形上人によって開山され、平安時代初期の大同5年(810)に真言宗の開祖・空海が山頂に極めて妙高山の里宮(後の関山権現\u003d現在の関山神社の前身)が建立されたそうです。最盛期には関山権現は七堂伽藍をはじめ70余坊が存在したそうです。今年は善光寺御開帳と合わせて妙高堂にある阿弥陀三尊像と関山神社本殿にある銅像菩薩像(6世紀に百済にて制作され日本に伝来)が6月12日まで公開されてます。室町時代にも文明10年(1478)に連歌師の宗祇が訪れたり、戦国時代の弘治2年(1556)に上杉謙信が隠退劇を繰り広げた時におとずれたのが当時の関山権現であり、現在も関山神社の境内には謙信が座禅をくんだ場所の石が残っています。永禄11年(1568)に武田信玄の越後侵攻を食い止める為にこの場所で上杉家家臣や僧兵が警備をしたり、安土桃山時代の天正10年(1582 )5月に織田家臣・森長可の軍勢が関山権現を焼き討ちにして大きく衰退しました。しかし、江戸時代初期に江戸幕府の支援により再興し、江戸時代後期の文政元年(1818)に現在の関山神社の社殿が完成しました。明治元年(1868)の神仏分離により関山権現の宝蔵院は廃寺になり、関山神社のみが残りますが、山岳仏教が栄えた時代の修験者の道場であった名残が現在の関山神社と宝蔵院跡に残ります。写真は関山宝蔵院跡の庭園からみた妙高山です。