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日露戦争(1904~1905年)の戦勝を記念した凱旋門が平赤井字定田の愛谷橋のたもとに復元されています。この凱旋門は戦争が終結した明治38年に、当時の赤井村と好間村の境に建立されました。ヒノキで作られ、高さ約4・5メートル、当時門柱の間にはアーチが掲げられていたという。建立された門では、親類や村人たちが小旗を振って帰郷した兵士を出迎え、無事の帰還を祝ったと伝えられています。門のそばには、終戦30年後、帝国在郷軍人赤井分会によって、出征した40人の名前が刻んだ碑も建立された様です。長らく赤井のシンボルとして存在していた凱旋門は、30年ほど前の県道小川・赤井平線の拡張工事によって門柱は撤去されてしまい、人々の記憶からも忘れ去られようとしていました・・・。時は過ぎ、”あの凱旋門はどうした!?”と、撤去された柱の話題が持ち上がり、凱旋門が立っていたあたりの草むらを探したところ、朽ちた門柱が発見されたそうです。そこで、赤井の貴重な財産を残そうと、見つかった門柱に防腐剤加工を施し、以前とほぼ同じ位置に再び建立することが決まりました。復元された門柱は、腐った部分などを取り除いたため、高さは約3メートル、直径約60センチとなり、日露戦争の戦勝記念の凱旋門であることを示す板を埋め込まれ現在に至っています。