真田親子の運命を知る場所。
新町薬師堂の特徴
真田幸村の歴史が感じられる、犬伏別れの地でのロマン体験が魅力的です。
関ヶ原合戦直前、真田親子の密議が行われた歴史的な場所として知られています。
無料駐車スペースやトイレ完備、歴史ファンに優しい訪問しやすい環境が整っています。
大河ドラマ真田丸での熱いシーンがここかと思うと歴史とロマンを感じます。こんな関東寄りに六文銭の旗があるなんて感動です。
真田幸村伝説の地。上杉征伐に向かう途上、ここ犬伏にて関ヶ原の戦いの知らせを受けた、真田昌幸、信之、信繁。家康方に付くか豊臣方に付くかをこの薬師堂で話し合った。お堂に上がると、ここで真田親子が一族の生き残りをかけて議論し決別した情景と想いを強く感じ、とても感慨深かった。歴史好きな方は訪れる価値ありです。薬師堂と稲荷社の建物に間から山の方へ登山道が伸びていました。後で知ったのですが山は米山古墳で頂上に登る道でした。天然の山を使った古墳で北関東一の大きさだそうです。駐車場は少し分かりにくいですが、お堂に向って左側の森の裾野と道路脇にスペースがあります。
真田家が西軍と東軍に分かれて戦うことを決断した「真田父子の犬伏の別れの場」とのこと。今では「何故こんな辺鄙な場所で・・」と思えるが、薬師堂の前の道は、かつて栃木と群馬(両毛)を結ぶ主要な街道だったらしい。利根川流域が今と異なり関東の中心だった証拠でもある。しかも薬師堂の奥の小山は古墳だったとか。
慶長5年(1600年)天下分け目の関ヶ原合戦の直前、真田親子が徳川側と豊臣側に分かれて戦うことを決断した密議の場所と伝えられています。お堂の前の道路に1~2台なら交通障害にならないスペースがかろうじてあります。長時間の駐車は難しいでしょう。
真田親子の別れた場所です。これでは観光客は呼べませんよ。
現在はお寺というより展示館に見えます。でも真田ファンに於いては必見の場所と思います。ドラマで見る犬伏の別れで三人座っていたが現実三人座るには窮屈に感じました。
関ヶ原の戦いに際して真田氏は、豊臣方に弟の信繁(後の幸村)、徳川方に兄の信之とを分かち、どちらが勝っても一方を残すことにしたわけです。その命運を分けた取り決めをしたのがこの薬師堂であり、真田に大いに縁があるため、六文銭をあしらった幟旗が立てられています。古墳への登り口はお堂の左奥です。駐車場はこのすぐ左にありますが、近隣の食べ物屋さんの名札が付いている箇所が多くて困りました。
真田の六文銭が目に入り、なぜ真田がここに?との思いで、立ち寄りました。立看板をみて納得。歴史と、血を絶やさない為の究極の選択を拝見し、平和な世の中に感謝の念を抱きました。立ち寄れてよかったです。
歴史好きなら押さえておきたい真田親子にまつわる「犬伏の別れ」が行われた場所とされています。駐車場もあります。あと、賽銭箱のとなりの机には「寄せ書きノート」がありますので、気が向いたら何か書き残してみるのも良いかも?
名前 |
新町薬師堂 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0283-27-3011 |
住所 |
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評価 |
4.1 |
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東西大名たちの動きが活発する時代真田幸村の歴史には、必ずしも登場する場面です。「犬伏の別れ」この堂付近で、真田親子は、別れの契りを交わしました。真田昌幸、信繁は、上州へと、信幸は、徳川家康の元へ、真田氏の生き残りの作戦でした。以後大名たちは、舞台を関ヶ原に移しよに言う「関ヶ原の役」に繋がります。駐車場は脇に有りますが時間帯には、車の往来が有るので、調べて行った方が良いです。