柿本人麻呂に誘われて、静かな池の幸。
人丸神社の特徴
平安時代初期に創建された、柿本人麻呂を祀る由緒ある場所です。
美しい睡蓮が咲く清らかな池が境内にあり、心落ち着く休憩所となっています。
春と秋には地元のお祭りが開催され、活気ある社交の場となっています。
地元民です。写真撮影で訪れてます。晴天の日は堀の水鏡が美しく佐野市にはあまり縁の無い雪化粧をした人丸神社も情緒あって素敵なところです。人丸神社から車で5分圏内にお洒落なカフェや飲食店、温泉などがあるので散歩やドライブでぷらっと立ち寄るのをお薦めします。田中正造旧宅も直ぐ近くにあります。
8月6日日曜日☀.14時頃人丸神社に来ました、お客さんはいませんでした、参拝を済ませ、社務所にて御朱印を書いて頂きました。
水が豊富に湧き出ている。地元の人に愛されている神社。御祭神は柿本人麻呂。
白一色の美しい睡蓮の花、清らかな池は1200有余年の時の流れを今に残します。柿本人麻呂を祭神に、この地に鎮座する人丸神社、水に恵まれて人々に多くの恵みをもたらします。
狛犬が気になって伺ったのですがとても由緒ある神社で得した感じでした。大きな鯉も沢山居て人馴れしているようで寄ってきます。
神社の前に素敵な池があり、木陰にいるとほっとします。神社もなかなかいいですね。敬虔な気持ちになります。社務所に人はいず、御朱印は書き置きでした。費用は500円、賽銭箱に入れます。
御朱印を頂いてきましたおばあちゃんが対応してくれました。
湧き水の出る、泉のあるキレイな神社です。天井の絵も見ていて楽しいです。
人丸神社(ひとまるじんじゃ)御祭神 柿本人麻呂公境内社 為朝神社「石見のや 高角山の木の間より 我が振る袖を 妹見つらむか 人麻呂」人丸神社は、平安時代初期の元慶元年(877)三月、里人によって石見国高角山より柿本人麻呂の分霊を勧請され、産土神として祀られたのが始まりと云います。人丸神社は、下野に八社ある柿本人麻呂を祀る神社の総社とされ、人丸を「火止まる」に掛けて火伏の神として信仰されています。社伝によると、この地を訪れて柿本人麻呂が詠んだものとして「志もつけの 安蘇野の原の あさあけに もやかけわたる つつらくさかな」という和歌が伝わっています。現在の社殿は、江戸時代初期の万治元年(1658)に建てられたものと伝えられています。平成十年(1998)四月に千二百七十五年の弐年祭を執り行い、社殿・神楽殿等を改修しました。佐野市指定天然記念物「人丸神社湧泉池」本殿の北側の泉水は境内に湧泉池を形成し、水神としても信仰されています。田沼扇状地の末端に湧出した地下水が池となり、下方の水田をうるおす渡良瀬川水系才川の水源となっています。かつては片葉の葦が繁茂していたしていたといいます。佐野市指定名勝「人丸神社神苑」扇状地の湧泉と中心として、人丸神社の神苑が成立しています。境内には元禄四年(1691)の石鳥居や、元禄元年(1688)の石燈籠などがあり、島には疫病除けの「為朝神社」があり、下流の水田の守護神「斎川神社」があります。栃木県指定重要文化財「絹本著色 柿本人麿神影」小堀鞆音画伯が、竹馬の友である宮司林守善の依頼で、大正十二年(1923)四月十五日の人丸陣屋の千二百年祭りの御開帳に間に合わせるよう制作した御祭神の柿本人麻呂の御神影を描いたものです。佐野市指定有形文化財「神楽面(八面)」宝永七年(1710)に江戸講中から奉納された神楽面です。佐野市指定文化財「絹本着色 柿本人麻呂像」田崎早雲筆の大和絵風人物画の代表的作品で、人丸神社の御祭神柿本人丸を描いた掛軸です。もと葛生町の村樫正作氏の所蔵品でしたが、昭和四十年(1965)十月に人丸神社に奉納したものです。格天井絵「花鳥風月」拝殿内天井には、江戸時代後期の天保年間(1830~1843)に田村安貞によって描かれたという鮮やかな色彩の格天井絵があります彫刻「親子龍」拝殿正面階段の上部の向拝に、左右の幅が3mほどの「親子龍」の彫刻があります。(「境内案内板」「下野新聞記事」「佐野市HP」より)
名前 |
人丸神社 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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HP |
http://www.jinja-net.jp/jinjacho-tochigi/jsearch3tochigi.php?jinjya=75938 |
評価 |
4.0 |
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毎年、春と秋にお祭り、年末年始には元旦祭があり、にぎやかです。池には鯉も泳いでます。