巨木が迎える太田の名刹。
金龍寺の特徴
ケヤキの巨木が迎える、美しい境内の風景です。
上州太田七福神で毘沙門天を祭る寺院です。
新田義貞の供養塔があり、歴史を感じる場所です。
いきなりケヤキの巨木が👁️に入るので、暫く足を止めて威容をじっくり眺め、石段を70段ばかり上って境内へ…。い並ならんでいる種々の大木などを眺め終えたら、本堂裏にある新田義貞公供養塔に詣でる。これがごくごく定番のコース。
上州太田七福神では毘沙門天を祭っています。金龍寺を訪れるならば秋がおすすめです。本堂周辺の素晴らしい紅葉を堪能することができます。大田山義貞院金龍寺は群馬県太田市金山町に境内を構えている曹洞宗の寺院です。金龍寺の創建は元享元年(1321)、新田義貞が天真自性和尚を招いて開山し、義貞の戒名である「金龍寺殿眞山良悟大禅定門」から金龍寺と号したのが始まりと伝えられています。御朱印頂けます。
こちらは曹洞宗の寺院。金山城城主、室町末期から戦国時代の横瀬氏・由良氏の菩提寺です。歴史的に当地では有名な新田義貞(1301〜1338年)は鎌倉時(1185〜1338年)代末期の武将ですが、まだ金山城もできていない時代です。代々この地を治めていた、新田一族の末裔の新田岩松氏が金山城を築城(1469年)し、岩松氏の家臣だった横瀬氏が下剋上で城主となり(1528年)横瀬氏は由良氏と改名しました(1565年)。その横瀬氏・由良氏の菩提寺が金龍寺です。金山の麓、この地方では有名な「大光院」通称、呑龍様(浄土宗)より少し北側に登った場所に金龍寺はあります。金龍寺が見えたら道から門前の駐車場へ入り、階段を20メートル位登ると金龍寺本堂です。禅宗の寺院らしく、静寂な空間ですね。深緑の季節の朝とか、紅葉の季節は特にとてもきれいな寺院です。伽藍や屋根瓦には新田の家紋「丸に一つ引き紋(大中黒.新田一つ引き)」が見られます、また徳川氏の家紋の三つ葉葵もあります。是非確認して下さい。当地の英雄 新田義貞の供養塔、金山城主の由良氏(源氏系由良氏が改名する前の横瀬氏の意向で金龍寺を開山)に代々の五輪塔が九基あります。戦国時代(1500年代後半)には由良氏が金山城主になっており、親子兄弟や一族が周辺の桐生、館林等の地区を支配しており、上杉、北条、武田等の大大名等の勢力バランスの中心で有力国衆として生き抜いていました。義貞の墓所はこちらではありません。金龍寺は、由良氏と共に一度は牛久の地に移地されましたが太田市(新田の庄)に再興されて現在に至ります。ご本尊は釈迦如来。御朱印は、本堂でご本尊を参拝後にいただきましょう。本堂の隣の庫裏(自宅)でいただけます。ご住職のプライベートな玄関に立入るのだからお昼時等や、早朝や夜間は遠慮するなどの配慮をお願いします。御朱印は観光スタンプでは、ありません。本来は写経を納めた証の受領印だそうです。現在は、納経をしなくても、参拝しますと「ご本尊への信仰とお寺とのご縁を結んだ証」として御朱印を頂けます。できれば参拝の時に短いお経を唱えるとか、感謝を祈願した後に頂きましょう。『南無釈迦牟尼仏(なむしゃかむにぶつ)』と手を合わせると「南無」は帰依します→「信じます」「釈迦牟尼仏」は「釈迦族の聖者」で『私は、お釈迦様を信じます(おまかせします)』となります※住職談。2017.11.11久しぶりに参拝に来ました。お庭では、職人さんらしき人が何やらライトアップの準備中!紅葉の季節なのでその準備みたいですね🎵ご本尊(釈迦如来)を参拝後に、御朱印を頂きに行き、ご住職としばし会話。ありがとうございました。2019.1.12実は青木住職は私の知人で、新年のご挨拶に来ました。本堂は床の全面工事らしく閉鎖されていました。ご住職としばらく会話して金龍寺を後にしました。
呑龍さまのお参りを終わり、新田義貞の供養塔があるとのことで緩やかな坂を登る。道幅が狭く歩道部分が狭いのに、車はスピードを緩める気配もなく危険この上ない。この地域を巡っていて感じるが、歩行者を気遣う心がないことに驚きを禁じ得ない。曹洞宗の寺らしく、開放的で管理の行き届いた良いお寺である。
名前 |
金龍寺 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0276-22-4920 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.0 |
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お墓参りに来ました。広い駐車場もあり金山ハイキングの方もいます。お手洗いもあり清潔です。階段は急で落ち葉で滑るかもしれません。気をつけましょう。