昭和津波碑と共に学ぶ。
大浦「大海嘯記念」昭和八年三月三日大津波災害伝承碑の特徴
昭和9年に建てられた石碑が目を引く場所に位置する。
大浦漁村センターの入口に立つ歴史的な碑がある。
昭和津波と東日本大震災を悼む鎮魂碑が共存している。
山田町の大浦漁村センター入口にある昭和津波の石碑と東日本大震災津波の犠牲者の鎮魂碑が並んでいる。大海嘯記念の他に縦書きで、一 大地震の後には津波が来る 一 地震があつたら髙い所へ集まれ 一 津波に追はれたら何處でも此所位の髙い処へ 一 遠くへ逃げては津波に追付かる近くの髙い所を用意して置け 一 縣指定の住宅適地より低い所へ家を建てるななどと刻まれている。鎮魂碑の台座にこの下まで津波がきた。裏面には大浦地区と小谷鳥地区の犠牲者の名前が刻まれている。
| 名前 |
大浦「大海嘯記念」昭和八年三月三日大津波災害伝承碑 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP |
https://takuhon.lab.irides.tohoku.ac.jp/hibun/detail/iwate93/ |
| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
〒028-1371 岩手県下閉伊郡山田町船越第22地割 大浦漁村センタ |
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此の碑は昭和9年に建てられた比較的最近のものである。山田町にはこのほかに明治29年の「海嘯記念碑」が3か所にある。ひとつは、この竜昌寺境内にある。撰文が漢文体。ひとつは、織笠小学校校庭脇にある。撰文が漢文体。ひとつは、大沢南陽寺境内の参道脇にある。津波襲来時刻と溺死者数のみの記載。【山田町津波誌より】❶【参考 山田町復興記録誌 2011-2020 令和3年3月11日】山田町船越大浦「大海嘯記念」昭和九年五月建立〈表〉一 大地震の後には津波が来る一 地震があったら高い所へ集まれ一 津波に追はれたら、何処でも此所位の高い所へ一 遠くへ逃げては津波に追付かる近くの高い所を用意して置け一 県指定の住宅適地より低い所へ家を建てるな〈裏〉昭和八年三月三日午前二時三十分上下ニ動揺スル強震アリ續イテ三時頃ヨリ大音響ト共ニ大津浪ノ襲來アリ浪ノ髙十米三時十分頃最モ被害アリ被害戸数舩越區流失ニ十三戸半潰一戸死者三名田ノ濱區流失百八十三戸半潰二戸床上浸水十一戸死者二名大浦區流失五戸半潰十四戸床上浸水十六戸ナリ。