情緒あふれる古社、訪れたい!
霧降宮切久保諏訪神社の特徴
参道の橋の下を流れる小川と石段が情緒豊かです。
立派な杉の大木が並ぶ、趣のある古社として知られています。
厳かな雰囲気が漂う、切久保地区の隠れた名所です。
小川と太鼓橋が良い感じ。
すぐ近くの「さす正館」は、数年前に廃業されたが、父が20代の頃からのご縁で家族は親戚同様のお付き合いをさせていただいていた。父の弟、妹も学生時代の冬のアルバイトで住み込みで働き、また私の弟も学生、社会人時代とスキー部の合宿先として利用させていただいていた。田舎の無かった(つまり実家で祖父母と同居)自分にとって、子供時代の”冬”の田舎が切久保。その切久保の氏神様は自分にとっても氏神様のような存在。
小谷村千国の里から栂池パノラマ橋を越えると白馬村落倉です。そこから切久保までの塩の道の痕跡は見つかりませんが、県道433号(千国北城線)を南進し、道の両側にグラウンドが見えてきたら、西に向かう分岐路に入ります。分岐から500メートルほど進むと、左手に神社が見えてきます。それが切久保諏訪神社(霧降宮)です。そこは白馬岩岳スキー場の東の麓で、旅館やホテル、民宿などが集まった小さな集落です。岩岳の東麓にある切久保は、南に松川、東に楠川が流れる複合扇状地の上の段丘にあって山間の広い窪地をなしていました。冬季や雨期にはこの窪地に深い霧がまいていたいたのではないでしょうか。諏訪神社が霧降宮と呼ばれるのは、そういう事情からだと見られます。江戸時代には、この切久保をはじめ、その東方の立ノ間、青鬼や森上近辺の地区は全体として塩島村を形成していました。切久保は古くは霧窪と書かれていたのかもしれません。というのは、この辺りは霧降の里という呼び名もあるからです。安曇族の信州内陸への進出ということを考えると、塩の道古道は平安時代前期には原型がつくられていたようです。とすれば、遅くともその頃には千国庄(小谷村と白馬村)の開発・開拓が本格的に進んでいて、古道沿いに塩島郷にも開拓民がやって来て集落や農耕地を衝きり始めていたでしょう。千国街道は塩尻宿で中山道ならびに三州街道と連絡していました。この中山道は諏訪湖畔で諏訪大社(下社春宮・秋宮、上社本宮・前宮)に出会います。また三州街道は、小野宿で諏訪大社系の小野神社(信州一之宮)と出会います。いずれも諏訪大明神の本拠です。したがって、千国街道沿いには、古代から諏訪社を勧請した神社が数多く創建されました。農耕地と集落を拓くさいに建立され、村落の守護神となったのです。切久保諏訪社(霧降宮)もそのひとつです。
趣のある所です。自然の中に吸い込まれそうです。マイナスイオンもバッチリ(^^)外国人の方もいらっしゃっていました。
切久保地区にある神社のわりにかなり立派な神社だと思う。
ひっそりと、建ち境内に川が流れ趣があります。
いつも通りすぎる神社ですが、近いうちに、よってみたいとお持ちます。
立派な杉の大木が、三本並んでいる、趣のある古社。
厳かな雰囲気です。
名前 |
霧降宮切久保諏訪神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
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小川がいい感じでした。