平城坂で感じる奈良の歴史。
高札場の特徴
大和国と山城国を結ぶ、平城坂の歴史を感じる場所です。
歴史的に重要な旧道を辿り、往来の名残を楽しめます。
高札場跡地では当時の様子を再現した文化を体感できます。
大和国と山城国を結ぶ奈良街道の平城坂。奈良の都近くですので当時は情報サイトですよね。江戸時代の識字率って高かったんでしょうね、読解力も無いと結構難しく書いてあるので。
平城京からは歌姫街道、春日大社、東大寺からはこの街道神社を少し北にいって左に今は行き止まりの細道が旧道です人々の往来があった名残を感じます。昔は河川敷なんて便利な道もなく川は難所人々は真剣に見たんでしょうね。今のように回覧板やネット新聞で最新の御触れが確認できた訳でもなく。大災害、戦争になったときこのような掲示板は大切になるなと思いました。
再現したもののようですが、当時の様子がよく分かります。山城と大和の国境にあるこの奈良豆比古神社は行き交う人も多く高札場として適していたのでしょう。
案内看板より『高札場』奈良阪の高札場があった場所は「大和名所圖會。寛政三年(一七九一)編纂の巻二」に描かれ奈良豆比古神社境内の東で 京~奈良街道に面して東向に建てられていた高札場は奈良町の中心「橋本町」と 町のおもな出入り口である「奈良阪村」その他「不空院辻·中辻町·柳町·下三条□」と奈良回り八ケ村の合わせて十四箇所奉行所は 町民の守らねばならない事柄を 触れ書の回達の外に木札に書き各所に掲示場をつくって立て これを「御高札場」といった天和二年(一六八二)に出されたものがあるが 内容はそれぞれの札の名で示されており 場所によっては 異なった項目を含む例えば「忠孝札」には忠孝の心得の外に博奕や喧嘩口論の禁止の項を「毒薬札」には 毒薬·にせ薬の売買禁止のほかに ニセ金銀や 新作のあやしい書物の商売禁止 寛永新銭の用法 あるいは買い占め 職人が仲間と組むことの禁止令をふくめているこのようにして町民は触れ書や高札によって 日常生活を規制され 奉行所の権力の中に統制されたのであった近年は「奈良の町」の歴史を求めて 多くの観光客が訪れます 明治初期まで建てられていたご高札を 奈良豆比古神社 第六十二回目の式年遷宮を迎えたこの年 これを記念に復元し 改めて奈良阪町の歴史を後世に伝えると共に 新しいシンボルとして 地元は元より観光に来られた方々にもご見識願い 地域の発展に一役を担う事になればと期待するものであります昭和二十四年十月吉日奈良豆比古神社式年遷宮建設委員会奈良阪町自治会。
| 名前 |
高札場 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[土日月火水木金] 24時間営業 |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
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タイムスリップしたみたい。