源義経公縁の地、歴史を感じる場所。
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名前 |
源義経 衣川古戦場跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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評価 |
4.0 |
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高館義経堂に続いて源義経公縁の場所を訪れました。『源義経衣川古戦場跡の碑』これは平泉文化史館(閉館)の敷地内にあり、義経が藤原泰衡の軍勢に襲われ、最期を迎えた衣川の戦いの場を伝える記念碑です。南東700mに位置する「高館義経堂」は、義経が最期を遂げたとされる「衣河館」の跡地です。(諸説あります)『武蔵坊弁慶立往生旧跡の碑』平泉レストハウスの観光バス駐車場奥にありますが、管理が不十分で寂れた場所となってしまっています。義経の生涯に欠かせない武蔵坊弁慶が主君を守るため、矢を浴びながら仁王立ちとなって壮絶な最期を遂げた伝説を伝えるものです。碑の隣には、弁慶の怪力を伝える力石と、最期に背負ったとされる桜を偲んだ弁慶桜があります。『静御前歌碑』義経の愛妾、静御前が詠んだ和歌を刻んだ歌碑が、平泉文化史館(閉館)の敷地内にあります。義経を慕う切ない想いを詠んだ「吉野山 峰の白雪 踏み分けて 入りにし人の 跡ぞ恋しき」と、義経との別れの悲しみを歌った「しづやしづ しづのをだまき 繰り返し 昔を今に なすよしもがな」の二首が刻まれています。義経を追って平泉を目指した静御前の最後は諸説ありますが、義経を慕い続けた静御前の切ない想いが込められたこの碑は、平泉の地にふさわしいと感じました。『武蔵坊弁慶大墓碑』中尊寺参道の月見坂入口前にある弁慶の供養塔で、義経と共に絶命した弁慶の遺骸が葬られたと言い伝えのある場所です。時代が新しい石碑の後方に崩れた五輪塔があります。こちらが本来の供養塔です。中尊寺の僧・素鳥(そちょう)が詠んだ「色かえぬ松のあるじや武蔵坊」という歌が刻まれた石碑が建立されたとありましたが、その石碑は見つけられませんでした。『弁慶堂』中尊寺の参道には、弁慶を祀る弁慶堂が建っています。ここには、以下のものが安置されています。勝軍地蔵菩薩(御本尊)弁慶立往生木像義経公坐像弁慶自作立像弁慶主従笈草花の天井絵画『源義経公妻子の墓』義経公と共に最期を迎えたとされる妻子を供養する墓所は金鶏山の入口に位置しています。悲劇的な最期を遂げた義経だけでなく、彼の愛する家族もまた、この地でその短い生涯を終えたました。この墓は、義経の正妻である郷御前(さとごぜん)と、その間に生まれた娘を供養するために建てられたものです。