ご社殿近くで特別な体験を。
スポンサードリンク
スポンサードリンク
| 名前 |
賀久留神社 一の鳥居 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[日月火水木金土] 24時間営業 |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
スポンサードリンク
周辺のオススメ
スポンサードリンク
スポンサードリンク
ご社殿より南側に建立されています。この辺りは三方原台地の南端で、北に向かって標高が高くなりますので、ここから参道を進むと結構な上り坂になっています。鳥居の脇には社号標。正面に「式内賀久留神社」、左側面に「明治二十三年一月再建」刻。鳥居の奥には歌碑。正面に「罪あらば 我を罪せよ 天津神 ひ登能悪きは 我可悪き奈り」、背面に「当社々掌 須山長次郎 仝社掌 実子須山長次謹詠 明治四十三年九月廿五日建設」刻。※異体仮名註:登→と、能→の、可→か、奈→な。「社掌」は現在では廃止された神職です。この歌碑が建立されたのが明治43年(1910年)ですので、その時点では当社の社格は郷社でしたから、社掌は現在で言えば宮司の立場でした。少し先に進むともう1基の社号標。正面に「式内 縣社賀久留神社」、背面に「昭和七年十月吉日 社司 中島金次郎 奉納者 須山七平 二男須山健次」刻。「社司」も現在では廃止された神職です。昭和7年(1932年)に建立されていますので、その時点では当社の社格は県社でしたから、社司は現在で言えば宮司の立場でした。当社は昭和4年(1929年)に社格が昇格しましたので、それを記念して社号標を追加したのだろうと推察します。更に進むともう1基の小さな社号標。こちらは江戸時代に建立された古い物です。正面に「賀久留之神社」、背面に「延德二庚戌年八月十五日 再建文政六癸未年八月日」刻。延徳2年(1490年)に建立された社号標が何らかの理由で失われたため、文政6年(1823年)に再建した、ということでしょう。社号標が新旧合わせて3基も建立されている神社も珍しいと思います。