明治の歴史ある溜め池で。
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名前 |
与左衛門池 |
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ジャンル |
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住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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評価 |
4.0 |
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訪問日 2025/2/20明治時代に造られた溜め池です。少し先に歩くと掛川市の史跡「ドンドン隧道」があります。ドンドン隧道は、与左衛門池への土砂の流入を防ぐ目的で、明治19年に造られた物だそうです。「与左衛門池」所在地 掛川市南西郷字三十六の坪1296-1貯水量 7.000立方m「ドンドン隧道」『ドンドンとは、澱み(よどみ)なく流れるの意』「由来」この、トンネルは明治の町村合併の前年に、洪水の土砂から「与左衛門池」を守る為に作られたものです。水路開墾年代は、明治19年、面積約165㎡、全長65m。当時の皇室御料林(現•国有林)新地129番地に、高低220~230cm、横巾70~80cm開墾に従事された方は、川西良平•川西小作さん。隧道の中に入ると、作業の灯り置き場兼、作業交替の印と思われる横穴が随所にあり、入口から出口に続いている。子供の頃から、遊び親しんだ「ドンドン隧道」が昭和13年頃、50cm位底上げをしたノミの痕跡がはっきり見られる。担当者は、川西直哉•川西与作さんで、初期の工事に従事した方の子孫と思われる。手押し車で開墾した土砂を外に出している姿や、隧道の奥でカンテラを揺らして岩盤を掘っている姿がドンドン隧道を訪れる度に記憶が甦る。この隧道は、郷土の先人が遺してくれた文化遺産である。『久保•大橋哲男』この辺り、マスラノ池から与左衛門池の間には他にも水路隧道がいくつもあります。ドンドン隧道から「夏知らずの隧道」次が「柞(ははそ)隧道」、「千鳥の隧道」、「娘どまりの隧道」と続き、素掘り隧道好きには、たまらない場所になっています😀