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高崎の町を歩いていて、説明板を偶然見つけました。こちらは、いまは勤労青少年ホームになっていますが、かつては群馬県工業試験場高崎分場でした。昭和9年、ナチスに追われて来日した建築家のブルーノ・タウトは、ここで日本の若者達に工芸の指導を行うとともに、みずからも木や竹などの和の素材を生かした作品を残しました。日本へ逃れてきたものの、当時は親独に傾いていた世情では、この国も安住の地ではありませんでした。白眼視されていたタウトを救ったのは、高崎の井上房一郎でした。井上は他人の才能を見いだし、育てる能力に長けていたのかも知れません。彼が目をかけていた一人の少年は、事業家から政治に進出し、ついには総理大臣にまで出世しました。その少年こそ、田中角栄でした。井上は工芸の指導者としてタウトを招聘し、彼がトルコに乞われて去るまで、公私に渡って世話をしました。タウトの住まいは少林寺達磨寺に、いまも「洗心亭」として残されています。またタウトは桂離宮に衝撃を受け、その素晴らしさを世界に紹介したことでも知られています。こちらのお洒落な塀は、タウトのデザインによるものだそうです(^_^ゞ