津軽三味線の魅力、圧倒体験。
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| 名前 |
津軽三味線 山絃堂 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0172-39-1511 |
| 営業時間 |
[日月火水木金土] 9:00~17:00 |
| 評価 |
5.0 |
| 住所 |
|
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2025年5月 訪問津軽三味線に圧倒されます。生演奏を眼の前で体感出来る、素晴らしさ!その誕生からから今日までの歴史も勉強させていただきました。誠にありがとうございました。*******以下、パンフレット解説より抜粋[津軽三味線の歴史]邦楽の三味線の歴史は古いが、津軽三味線の歴史は意外と新しい。明治三十年代に梅田豊月が完全な津軽民謡の順付け伴奏者として登場する。だが当時は三味線弾きの地位が極端に低く、民謡歌手の三分の一位だった。梅田豊月は後に上京して浪曲の曲師に転向した。その後に登場するのが津軽三味線の神様とも言われ、現在もその奏法が脈々と伝えられてる白川軍八郎である。白川軍八郎は雨垂れの音や地吹雪の音を三味線に乗せて、聴く人の腹の底の底に染み込んで来る、いわゆる「津軽の味」を出した本物の名人だった。現在盛んに演奏されている独奏を最初に夢いた人でもある。白川軍八郎の弾く音を楽屋で聴いて、猛倍古を重ね、たちまち自川軍八郎に迫る実力を付けたのが木田林松栄である。豪快な性格で、まず音で客をびっくりさせて圧倒し、津軽民謡を盛り上げた。また、最初に津軽三味線を海外に紹介した功労者でもある。この木田林松栄の弟弟子が福士政勝である。白川軍八郎、木田林松栄が三味線だけで客を呼べたのに対し、福士政勝はあくまでも伴奏者であった。だが、その実力は前二者に決して劣るものでなく、当時の人は白川軍八郎・木田林松米・福士政勝を称して三羽鳥と呼んだ。高橋竹山は梅田豊月の孫弟子で、長い門付け生活の末に盲学校に入学するのだが、民謡家の成田雲竹氏に見出されて表舞台に登場して来る、忘れてはならない名人である。