親鸞ゆかりの名刹、歴史を感じて!
妙安寺の特徴
国指定文化財や歴史的書物を豊富に所蔵するお寺です。
南北朝時代の梵鐘がある群馬県指定重要文化財です。
親鸞聖人の影響を受けた浄土真宗大谷派の名刹です。
非公開ながら数多くの歴史的資料や書物文献を所蔵していて殆どか国の指定文化財や県の文化財に指定されているお寺🙏✨✨✨中でも徳川家康公から奉納された天皇の宸翰数点や親鸞聖人・成然上人の直筆の唯信鈔や当時としては大変珍しい体言止めで書かれた豊臣秀吉公和歌短冊や聖徳太子を真中にして周りにその弟子達を配置した絵絹本著色聖徳太子孝養像や親鸞聖人・蓮如上人・成然上人の肖像画や親鸞聖人の縁起絵などは特筆である✨✨✨本堂自体はそれなりのサイズでこじんまりとしていますが所蔵品はヤバいです🦉墓地の近くには南北朝時代に造られた小ぶりでほっそりとした梵鐘は群馬県の指定重要文化財に指定されているので必見です🦉🦉境内には睦組の木遣塚や迫力ある瓦のモニュメントや可愛らしいお地蔵様u0026井戸跡などちょこちょこ見る場所もあります💁お寺の方も非常に親切な方でこのお寺の所蔵品が記載されたお寺のパンフレットを快く渡して下さったのにもかなり嬉しかったです🌸🌸🌸山門はなくて境内が縦長に広いです🌿🌿🌿石門から本堂まで距離がありました🙂
平和の鐘を75年前の前橋空襲の被害者のため、突いて 良心的である。その前に、御霊へのご供養も していた。
成然房は俗姓を藤原氏従三位九條中村幸実といい、無実の讒言(ざんげん)により承元四年(1210)下総国猿嶋郡一の谷(現境町一の谷)に配流の身となった。幸実は、その頃常陸の稲田で一向専念の教義を弘通していた親鸞聖人のもとを訪ね、従弟にあたる親鸞聖人(成然房は親鸞聖人の妻、玉日姫の兄)との再会を歓び、その教えに深く帰依して剃髪し弟子となって、法名を成然房と賜った。建保六年 (1218)に成然は勅勘を免されたが、そのままこの地にとどまり、念仏の伝道に精進した。
浄土真宗大谷派のお寺です。一見、普通の町寺ですが、本尊様は室町期の作。寺宝には豊臣秀吉の書状などがあり、その歴史は古いです。また、鐘楼には室町時代の作風がうかがわれる釣り鐘も見落としてはならないですね。
一番街中のお寺、17号直ぐ側。
こちらには幕末、前橋藩松平氏の家臣であった志賀敬内(信吉)の墓があります。志賀は文武両道に秀で、砲術も心得た多才な人物であったといいます。幕臣でありながら尊皇攘夷を唱え、藩主に建白書を差し出しましたが、かえって勘気を蒙り、隠居を命ぜられました。敬内は怯まず、薩摩や水戸の浪士と図って、前橋城を乗っ取ろうと計画。事前に発覚して捕らえられ、切腹して果てました。ただ、純情な人柄は藩主にも愛されたらしく、松平直克は助命しようと急使を走らせましたが、間に合わなかったといいます。世のために心尽くしの甲斐もなくはかなく庭の雪と消えなば享年五十歳。潔さを思わせる辞世を残しています。敬内の妻は気丈な人だったようで、夫を捕縛した非礼を叱り、縄を解かせて紋付き袴の服装を整え、大小を差させ、死地に向かう夫を送り出したと言われています。故郷前橋に、尊皇攘夷の志士がいたとは知りませんでした(^_^ゞ敬内の墓は、本堂西側の墓地に入って、すぐ左手にあります。
東本願寺の本尊は、妙安寺の親鸞像です😃。
親鸞ゆかりの名刹です。家康が創設した東本願寺に、親鸞自作の像を贈った縁から御里御坊と称されました。寺宝が豊富です。
普通のお寺です。
名前 |
妙安寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
027-231-1590 |
住所 |
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HP | |
評価 |
3.8 |
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あの世に逝くときお願いいたします🙇♂️💦💦